2014年10月22日水曜日

まとめ



帰国して早くも一週間が過ぎたので、改めて半年間のケニアでの生活を振り返る。
何でケニアに行こうと思ったのか。きっとそれは些細なことで、昔からアフリカ大陸に理由もない憧れがあったから。小学校の時の自由研究か何かでも、ストリートチルドレンのことを調べたりと、貧困や開発といったものに関心があった。かといって、そういったものに対して積極的に関わっていくようなアクティブさが決定的に自分には欠けていて、大学での勉強とか、サークルでの活動とか、アルバイトなどをこなしていく生活に慣れてしまっていた。いざ就職活動をはじめて、自分が何をしてきたか。これから何をしたいかということを改めて考えたときに、何もしてこなかった後悔がどしんと自分にのしかかってきて、今からでも何かしようと思って、現場を見たいという気持ちが芽生えた。ということで、僕の主な意識は、どちらかというと「誰かの役に立ちたい」というよりは、「自分のこれからを考えるため」というようなものだった。
ケニアに行くということを友人や知り合いに告げると、「凄い」とよく言われたけど、何も凄くない。行くだけであれば誰でもできるし、アフリカに行くということがそれだけで価値のあることという風潮にも違和感があった。でもその違和感を説明する経験も自分にはなかったので、とにかく行きたいという思いは強くなっていった。

ケニアに到着したとき、ああ本当に来たんだなという思い、まだなんとなく自分がケニアにいると実感できないような感じで地に足がついていなかったように思う。ただ、自分が来た時はドナーからの資金が滞っていたのでとにかく暇だった。暇暇暇。しかもその暇に対してスタッフが改善しようと動くわけでもなく、暇だよねー、うんうんみたいな感じ。NGOって一生懸命働いているイメージを持っていた自分にはなかなかショックだった。でも、何かしなきゃ。自分には時間がない。と思って、色々なところを見て回ることにした。僕が住んでいたところでは日本人は自分しかいなかったので、色々な人に物珍しい目で見られた。そして、彼らの中では僕の肌の色はお金や支援と結びついてしまっていて、日本人が来た。ということはお金が来るんだよね?と聞いてくるような人も結構いた。僕は彼らの生活を知りたいと思って色々聞いてるだけでも、彼らの中ではこれだけ質問してくるんだし、何かしてくれるんだろう。という期待感が膨れ上がっていくということが分かって、うんざりしたこともあった。

支援は必要。でもその支援が依存を生むということが皮肉。最終的には支援がいらない状態がベストなわけで、現地の人が頑張らなければどうしようもない。そのモチベーションをどう向上させるかというのもこちらのやり方次第なのかもしれないけど。中には、やる気のない人なんて見捨てればいい。と言っていた人もいたけど、やる気を向上・維持させる支援ができたら一番ベストなんじゃないかとも思う。

結局、自分一人じゃどうしようもないし、まずもっと勉強しなきゃと感じたことばかりだったけど、間違いなく行って良かったとは言える。これから開発と向き合うための宿題をたくさんもらえたような気がするから。日本は本当に快適で、ご飯も美味しいし、最高だけど、ケニア人の人間味みたいなのも好き。ものがない豊かさがケニアにはあった。

どんな形であれ、また戻ってきたい。もうちょっと成長してから。

2014年10月11日土曜日

ナイロビです

水曜日にバスでナイロビに来ました。
相変わらず、ナイロビの都会具合にはなんだかそわそわします。
本当にもう帰るのだなと感じる毎日です。
ナイロビを歩いていると、みんな本当にすたすた歩いているんですね。チャイニーズとか呼ばれることもまずないし。最後までチャイニーズって呼ばれることは慣れなかったです。というか、むしろ最初のころの方が華麗に受け流せていた気もします。小さい子供がそう呼ぶのは致し方ないですが、同世代の若者とかにチャイニーズとかちんちょんちゃーんと呼ばれた時はいらっとしてしまいます。大抵ちょろっと手を振るくらいで返すんですが、一度「おいチャイニーズ、金くれ。ちんちょんちんちょんちゃいにーず」と兄ちゃんに絡まれた時に「うるせえな」って日本語で返したら、なぜかサモサをくれました。良い思い出なのか悪い思い出なのかよく分かりません。

日本ってどんなだったかなあってぼんやり考えています。
日本に帰るのが楽しみでもあり、ケニア離れるのが寂しくもあり。
というか台風やばい。

2014年10月6日月曜日

10月です

もう10月。
僕の研修生活も終わりを迎えようとしております。

この6か月間悔いもないし、達成感もない気がする。ただ、色々な学びがあったという事実は自分のなかで強くあります。成長できたとかは断言できないけど、日本に帰った時に今の自分で何ができるのかという期待は少しだけあります。

そういえば、最近は鶏と牛についての基本的な情報をまとめようとアンケートを取っています。何かNGOの研修に来てフィールドワークみたいのやってていいのかなと思ったりもするんですが、Aphia plusの活動が一区切りついたので暇なのです。

鶏持ってる?牛持ってる?って道端でいろんな人に聞いていたので、なにあの黄色人種ブシアでどんなビジネス展開しようとしてんだよと思われていることは間違いないです。

例えば鶏ではLocalとExoticの二種類があるんですが、後者は餌代が多くかかるので、大概の人はLocalの鶏を買っているんですね。でもなぜかブシアで見かける卵の多くはExoticなのです。Exoticの方が栄養価が低く、価格が安いからだそうです。Localの卵は栄養価が高くて需要が高いために家庭内の消費に回されたり、近所の人たち同士で交換しあったりという風に消費されて市場にはあまり回らないんですね。面白いですね。

この研修で一番身についたのは家畜の知識かもしれません。

2014年10月1日水曜日

9月が終わる

もう9月が終わります。
終わりが近づいてくるにつれて帰りたい気持ちが強くなってきて不思議。
最近はレポートをやたらと書いています。やっぱりちゃんと自分が何をしていたか形にしないとなーと思いまして。

研修とまったく関係ないんですが、
今日も部屋にゴキブリが出ました。全然ゴキブリとかは大丈夫な方なので、日本にいた時からゴキブリが出ると処理する役割を負っていました。頼られていたのか、とりあえずあいつに言っとくかみたいな感じだったのか分からないけど。
今日は部屋でご飯を食べているときに足に何かが触れたのを感じて、見たらゴキブリでした。でもあ、ゴキブリだと思っただけでそのまま食べ続けました。つまりゴキブリを見て何も感じなかったんです。

おれゴキブリなんて怖くないぜぬはははと伝えたいわけではなく、問題は問題として見るから問題なのかもしれないと ゴキブリに教えられたような気がしたということを言いたかったのです。僕から見たら今の研修先は問題だらけ。でもその問題と引き金となっている数人がそれを問題と分かっていて自分自身を誤魔化しているのか、もしくは問題とも捉えていないのか。まずはそこから考えてみる必要があるなと思いました。うまいことまとまった気がします。

2014年9月27日土曜日

なぜか

この「なぜか」という視点はとても大切だと改めて思う。
今までは起きた出来事や目の前の状況に対して「なぜか」という視点が欠けていた。猛省。
というのも、今、僕の研修先のNGOの問題点と改善案をまとめたレポートを書くために色々聞き取り調査のようなものをしていて色々と新たな事実を知ったから。

たとえばひとつの事例を挙げると、HIV啓発プログラムのファシリテーターを新たにひとり雇用しなければならないという時に、大学の卒業証明書や所有資格を示す書類がしっかり用意されていなかった。これはまあアフリカだからゆるいよね。と今まで片付けてしまっていたけど、よくよく聞いてみると裏でいろいろと契約が結ばれてたりなんかする。そういった書類を用意する義務がなければ、いくらでも自分の周りの友人とかと裏契約が結べたりするから。次の機会も雇ってやるから給料の何割おれによこせや。みたいに。

汚職にまみれてますね、ケニアは。あるケニア人は、「汚職のまったくない組織や誠実なケニア人男性を見つけるのは、妊娠した処女を見つけるくらい難しい」という名言を残していた。うまいこと言いやがったな。

帰る前にしっかりナイロビオフィスと話をして、組織としてブシアオフィスも向上してほしいと心から願う。

2014年9月24日水曜日

生きること死ぬこと

生きることとか死ぬことってなんなんだろうと向き合わずに生きてきた。というか向き合わないでも生きてこられたと言うべきか。
僕の父も母も姉も祖母も元気に生きていて、身近な家族や友人の死というものをほとんど経験したことがない。祖父は僕が赤ちゃんだったころに亡くなったので、残念ながら祖父の姿は鮮明な記憶として残っていない。ケニアで約5か月生活をして、死ぬということが日本よりも身近にある環境で生きているひとの姿をみて、自分自身思うことがあった。なんとなくケニア人の方が生きているという呼吸を感じるから。
生きようとしなくても日本では生きられるから、そこに対する努力をしてこなかったのかもしれない。日本に帰ったらもうちょっとちゃんと生きたいと今は思います。それだけです。

2014年9月21日日曜日

Healthy Choices

今週は割と忙しくフィールドでの活動に同行しました。Healthy Choicesという活動で、簡単に言ってしまえば16歳から20歳くらいの子供たちに、コンドームを使いましょう・エイズはこういう病気ですよというようなことを啓発するような活動です。

だいたいの流れとしては、
➀子供たちに将来の夢や目標について議論させる
➁それらを叶えるために必要なことはなにかを議論させる
➂また、それらの阻害要因となりえるものは何かを議論させる
といった具合に➂で子供たちに中退、病気、妊娠などの要因を出すように導いてからセッションが始まるという感じです。一方的に教育するのではなく、生徒側から意見が出るように工夫されてる印象です。

学校によって生徒の反応や態度にも結構差があって、黙って真面目に聞いているところもあれば、SEXという単語が出るたびに1分くらいざわついて面倒くさいところもあるのが面白いです。ある学校では、SEXをしたことがある人は挙手してください。というくだりで、普通に半分くらいの子が手を挙げていたのに、コンドームを使った人は?という質問には3人くらいしか手を挙げていなくておいって思いました。

あとひとつ、は?って思ったことが…。セッションを行う前に大体どの学校でも各校の校長とだいたいこんなことをやりますという打ち合わせがあるのですが、ある学校の校長さんが、「実際は婚前交渉はタブーなのであって、コンドームを使おうという教育は、婚前交渉を許していることにつながるだろう。なぜそんなことを教えるのか。」みたいなことを言ってきたんです。まあ一理あるのかもしれないけど、この人は実際に多くの子供たちが若いうちから性交渉をはじめているという現実をどう受け止めてるのかなと気になってしまいました。実際に学校にも行けない、お金もない、仕事もない、なんにもない状態に陥ったがために、はけ口を求めて結局子供ができましたっていう状況が多くあるなかで、ただ婚前交渉は駄目です。という教育をしても意味がないということを理解できているんでしょうか。