2014年10月22日水曜日

まとめ



帰国して早くも一週間が過ぎたので、改めて半年間のケニアでの生活を振り返る。
何でケニアに行こうと思ったのか。きっとそれは些細なことで、昔からアフリカ大陸に理由もない憧れがあったから。小学校の時の自由研究か何かでも、ストリートチルドレンのことを調べたりと、貧困や開発といったものに関心があった。かといって、そういったものに対して積極的に関わっていくようなアクティブさが決定的に自分には欠けていて、大学での勉強とか、サークルでの活動とか、アルバイトなどをこなしていく生活に慣れてしまっていた。いざ就職活動をはじめて、自分が何をしてきたか。これから何をしたいかということを改めて考えたときに、何もしてこなかった後悔がどしんと自分にのしかかってきて、今からでも何かしようと思って、現場を見たいという気持ちが芽生えた。ということで、僕の主な意識は、どちらかというと「誰かの役に立ちたい」というよりは、「自分のこれからを考えるため」というようなものだった。
ケニアに行くということを友人や知り合いに告げると、「凄い」とよく言われたけど、何も凄くない。行くだけであれば誰でもできるし、アフリカに行くということがそれだけで価値のあることという風潮にも違和感があった。でもその違和感を説明する経験も自分にはなかったので、とにかく行きたいという思いは強くなっていった。

ケニアに到着したとき、ああ本当に来たんだなという思い、まだなんとなく自分がケニアにいると実感できないような感じで地に足がついていなかったように思う。ただ、自分が来た時はドナーからの資金が滞っていたのでとにかく暇だった。暇暇暇。しかもその暇に対してスタッフが改善しようと動くわけでもなく、暇だよねー、うんうんみたいな感じ。NGOって一生懸命働いているイメージを持っていた自分にはなかなかショックだった。でも、何かしなきゃ。自分には時間がない。と思って、色々なところを見て回ることにした。僕が住んでいたところでは日本人は自分しかいなかったので、色々な人に物珍しい目で見られた。そして、彼らの中では僕の肌の色はお金や支援と結びついてしまっていて、日本人が来た。ということはお金が来るんだよね?と聞いてくるような人も結構いた。僕は彼らの生活を知りたいと思って色々聞いてるだけでも、彼らの中ではこれだけ質問してくるんだし、何かしてくれるんだろう。という期待感が膨れ上がっていくということが分かって、うんざりしたこともあった。

支援は必要。でもその支援が依存を生むということが皮肉。最終的には支援がいらない状態がベストなわけで、現地の人が頑張らなければどうしようもない。そのモチベーションをどう向上させるかというのもこちらのやり方次第なのかもしれないけど。中には、やる気のない人なんて見捨てればいい。と言っていた人もいたけど、やる気を向上・維持させる支援ができたら一番ベストなんじゃないかとも思う。

結局、自分一人じゃどうしようもないし、まずもっと勉強しなきゃと感じたことばかりだったけど、間違いなく行って良かったとは言える。これから開発と向き合うための宿題をたくさんもらえたような気がするから。日本は本当に快適で、ご飯も美味しいし、最高だけど、ケニア人の人間味みたいなのも好き。ものがない豊かさがケニアにはあった。

どんな形であれ、また戻ってきたい。もうちょっと成長してから。

2014年10月11日土曜日

ナイロビです

水曜日にバスでナイロビに来ました。
相変わらず、ナイロビの都会具合にはなんだかそわそわします。
本当にもう帰るのだなと感じる毎日です。
ナイロビを歩いていると、みんな本当にすたすた歩いているんですね。チャイニーズとか呼ばれることもまずないし。最後までチャイニーズって呼ばれることは慣れなかったです。というか、むしろ最初のころの方が華麗に受け流せていた気もします。小さい子供がそう呼ぶのは致し方ないですが、同世代の若者とかにチャイニーズとかちんちょんちゃーんと呼ばれた時はいらっとしてしまいます。大抵ちょろっと手を振るくらいで返すんですが、一度「おいチャイニーズ、金くれ。ちんちょんちんちょんちゃいにーず」と兄ちゃんに絡まれた時に「うるせえな」って日本語で返したら、なぜかサモサをくれました。良い思い出なのか悪い思い出なのかよく分かりません。

日本ってどんなだったかなあってぼんやり考えています。
日本に帰るのが楽しみでもあり、ケニア離れるのが寂しくもあり。
というか台風やばい。

2014年10月6日月曜日

10月です

もう10月。
僕の研修生活も終わりを迎えようとしております。

この6か月間悔いもないし、達成感もない気がする。ただ、色々な学びがあったという事実は自分のなかで強くあります。成長できたとかは断言できないけど、日本に帰った時に今の自分で何ができるのかという期待は少しだけあります。

そういえば、最近は鶏と牛についての基本的な情報をまとめようとアンケートを取っています。何かNGOの研修に来てフィールドワークみたいのやってていいのかなと思ったりもするんですが、Aphia plusの活動が一区切りついたので暇なのです。

鶏持ってる?牛持ってる?って道端でいろんな人に聞いていたので、なにあの黄色人種ブシアでどんなビジネス展開しようとしてんだよと思われていることは間違いないです。

例えば鶏ではLocalとExoticの二種類があるんですが、後者は餌代が多くかかるので、大概の人はLocalの鶏を買っているんですね。でもなぜかブシアで見かける卵の多くはExoticなのです。Exoticの方が栄養価が低く、価格が安いからだそうです。Localの卵は栄養価が高くて需要が高いために家庭内の消費に回されたり、近所の人たち同士で交換しあったりという風に消費されて市場にはあまり回らないんですね。面白いですね。

この研修で一番身についたのは家畜の知識かもしれません。

2014年10月1日水曜日

9月が終わる

もう9月が終わります。
終わりが近づいてくるにつれて帰りたい気持ちが強くなってきて不思議。
最近はレポートをやたらと書いています。やっぱりちゃんと自分が何をしていたか形にしないとなーと思いまして。

研修とまったく関係ないんですが、
今日も部屋にゴキブリが出ました。全然ゴキブリとかは大丈夫な方なので、日本にいた時からゴキブリが出ると処理する役割を負っていました。頼られていたのか、とりあえずあいつに言っとくかみたいな感じだったのか分からないけど。
今日は部屋でご飯を食べているときに足に何かが触れたのを感じて、見たらゴキブリでした。でもあ、ゴキブリだと思っただけでそのまま食べ続けました。つまりゴキブリを見て何も感じなかったんです。

おれゴキブリなんて怖くないぜぬはははと伝えたいわけではなく、問題は問題として見るから問題なのかもしれないと ゴキブリに教えられたような気がしたということを言いたかったのです。僕から見たら今の研修先は問題だらけ。でもその問題と引き金となっている数人がそれを問題と分かっていて自分自身を誤魔化しているのか、もしくは問題とも捉えていないのか。まずはそこから考えてみる必要があるなと思いました。うまいことまとまった気がします。

2014年9月27日土曜日

なぜか

この「なぜか」という視点はとても大切だと改めて思う。
今までは起きた出来事や目の前の状況に対して「なぜか」という視点が欠けていた。猛省。
というのも、今、僕の研修先のNGOの問題点と改善案をまとめたレポートを書くために色々聞き取り調査のようなものをしていて色々と新たな事実を知ったから。

たとえばひとつの事例を挙げると、HIV啓発プログラムのファシリテーターを新たにひとり雇用しなければならないという時に、大学の卒業証明書や所有資格を示す書類がしっかり用意されていなかった。これはまあアフリカだからゆるいよね。と今まで片付けてしまっていたけど、よくよく聞いてみると裏でいろいろと契約が結ばれてたりなんかする。そういった書類を用意する義務がなければ、いくらでも自分の周りの友人とかと裏契約が結べたりするから。次の機会も雇ってやるから給料の何割おれによこせや。みたいに。

汚職にまみれてますね、ケニアは。あるケニア人は、「汚職のまったくない組織や誠実なケニア人男性を見つけるのは、妊娠した処女を見つけるくらい難しい」という名言を残していた。うまいこと言いやがったな。

帰る前にしっかりナイロビオフィスと話をして、組織としてブシアオフィスも向上してほしいと心から願う。

2014年9月24日水曜日

生きること死ぬこと

生きることとか死ぬことってなんなんだろうと向き合わずに生きてきた。というか向き合わないでも生きてこられたと言うべきか。
僕の父も母も姉も祖母も元気に生きていて、身近な家族や友人の死というものをほとんど経験したことがない。祖父は僕が赤ちゃんだったころに亡くなったので、残念ながら祖父の姿は鮮明な記憶として残っていない。ケニアで約5か月生活をして、死ぬということが日本よりも身近にある環境で生きているひとの姿をみて、自分自身思うことがあった。なんとなくケニア人の方が生きているという呼吸を感じるから。
生きようとしなくても日本では生きられるから、そこに対する努力をしてこなかったのかもしれない。日本に帰ったらもうちょっとちゃんと生きたいと今は思います。それだけです。

2014年9月21日日曜日

Healthy Choices

今週は割と忙しくフィールドでの活動に同行しました。Healthy Choicesという活動で、簡単に言ってしまえば16歳から20歳くらいの子供たちに、コンドームを使いましょう・エイズはこういう病気ですよというようなことを啓発するような活動です。

だいたいの流れとしては、
➀子供たちに将来の夢や目標について議論させる
➁それらを叶えるために必要なことはなにかを議論させる
➂また、それらの阻害要因となりえるものは何かを議論させる
といった具合に➂で子供たちに中退、病気、妊娠などの要因を出すように導いてからセッションが始まるという感じです。一方的に教育するのではなく、生徒側から意見が出るように工夫されてる印象です。

学校によって生徒の反応や態度にも結構差があって、黙って真面目に聞いているところもあれば、SEXという単語が出るたびに1分くらいざわついて面倒くさいところもあるのが面白いです。ある学校では、SEXをしたことがある人は挙手してください。というくだりで、普通に半分くらいの子が手を挙げていたのに、コンドームを使った人は?という質問には3人くらいしか手を挙げていなくておいって思いました。

あとひとつ、は?って思ったことが…。セッションを行う前に大体どの学校でも各校の校長とだいたいこんなことをやりますという打ち合わせがあるのですが、ある学校の校長さんが、「実際は婚前交渉はタブーなのであって、コンドームを使おうという教育は、婚前交渉を許していることにつながるだろう。なぜそんなことを教えるのか。」みたいなことを言ってきたんです。まあ一理あるのかもしれないけど、この人は実際に多くの子供たちが若いうちから性交渉をはじめているという現実をどう受け止めてるのかなと気になってしまいました。実際に学校にも行けない、お金もない、仕事もない、なんにもない状態に陥ったがために、はけ口を求めて結局子供ができましたっていう状況が多くあるなかで、ただ婚前交渉は駄目です。という教育をしても意味がないということを理解できているんでしょうか。

2014年9月16日火曜日

スタツアまとめ

スタツアのアレンジしていただいた方々に、改めて感謝の気持ちを伝えたいです。開発業界になぜ憧れていたのか、そもそも本当にやりたいことなのかということを見つめ直すために行こうと決めた研修でしたが、良くも悪くも現実が見えてきて、自分にできることできないことを勝手に決めつけていた自分がいました。
でも今回のスタツアでケニア・ウガンダという異国の地で、情熱を持って活躍している多くの日本人の方々にお会いして、できることできないことというよりもまずは自分がやりたいと思えることを大事にしなきゃいけないと気付くことができた気がします。お会いした人は一貫して誰かのためにというよりは、自分のしていることにプライドというか楽しみを見出しているように思えたからです。

また、初めてお会いした人に研修どうですか?とか今まで何してたんですか?とか聞かれることも多くて、改めて自分がしてきたことを振り返る良い機会になりました。特に僕が収益向上プロジェクトとして考えていた牛乳の生産プロジェクトの話をしたときに、何か面白いことしてるね。と言っていただけたので、自分がこれまで調べてきた牛の種類とかエサの種類とか流通網とかもろもろの情報は帰国までにしっかりまとめたいと思いました。
あとは僕がなんとなくオフィスのことで不満に思ったことを愚痴っていたときに、「逆になんでそういう状態になったんだと思う?」と言われて、何も的確に答えられなかったことが悔しかったので、「なぜ?」の部分についてできる範囲で突っ込みたいと思っています。5か月もいて、もやもやしたり文句垂れるばっかりで「なぜ?」の部分についてしっかり考えてこなかったというのは甘すぎますが、帰国前に気付いて本当に良かったです。

純粋にスタツアとても楽しかったです。もう頑張るしかない。

2014年9月13日土曜日

スタツア➅

陸路でルワンダ→ウガンダ→ケニアと戻ってきました。特にルワンダ⇔ウガンダの道はなかなかの悪路でかなり上下に揺さぶられて寝ることもできず…。その上帰路においては近くに座っていた少年が完全にバス酔いして、ぴょろっと戻してしまったのです。自分の隣に座っていたビジネスマンはその瞬間顔を覆ってOh my god。しかしその少年を誰も責めたりはしません。むしろ「勝負はここからだ。頑張ろうぜ。」という謎の一体感がバス内を包みました。ありがとう悪路。

ということで前述の通りルワンダに行ってきました。虐殺記念館に行くためです。詳しくは各々に調べていただくとして、ルワンダは1994年にツチ・フツ族間の無差別な虐殺が起きたことで知られています。50年前、100年前の話ではなく、たったの20年前です。言葉を失うという表現はありふれていますが、本当に言葉を失いました。特に胸に刺さったのが虐殺された子供たちの写真やプロフィールが展示されているコーナーで、彼らが好きだった食べ物、趣味、性格、殺害方法、殺害前の最後の一言(Mum,where can I run to?など)が生々しく描かれていて、とても胸が痛かったです。20年前に実際にこういう事態が起きていたという事実が、あまりに非日常的で悲しいですがぜひ皆に行ってもらいたいと思いました。

ルワンダでは街中のあらゆるところにゴミ箱が設置されていてゴミ箱も落ちていない、人々もとても温厚でしつこくない、なんというか整然としていて僕の知っているアフリカではありませんでした。大虐殺から奇跡の復興を遂げたといわれているルワンダですが、人々の心の傷はいまだに癒えていないはず。彼らが醸し出す温かさというか素朴さみたいなものの裏には計り知れない悲しみがあるようにも思います。

2014年9月6日土曜日

スタツア➄

ケニアでの滞在を終えて、ウガンダに来ています。
異国の地で活躍している日本人の方々にお会いできて楽しい毎日です。

【あしながウガンダ】エイズで親を亡くした遺児たちに対して小学校教育・学習用具の配布・家庭訪問などの支援を行っている団体。まず初めに、あしながウガンダさんの周辺に住んでいる子供たちが外国人慣れしている印象をうけた。僕の研修地であるブシアのように、僕の顔を見て泣き出す子もいないし、20回くらいHow are you?と言ってくるような子もいなくて、あしながウガンダさんの存在がコミュニティに受け入れられてる気がした。実際に被支援者の家庭を3軒訪問して、やはりみんな言っていたのは「お金がない」ということ。この言葉って事実ではあるとは思うのだけど、やっぱりこれを言うことで、もらえるものは全部もらいたいというメンタリティもあるような気がする。
教育は未来への投資でもあって、実際に有能な人材が教育を受ける環境にないというのはものすごく残念だし、日本だったり他の外国にウガンダから留学生が学びに行くことができるというのは、とっても有意義なものではある。でもやっぱり、学費ちょうだい学費ちょうだいと言ってくる人々の姿にはしっくりこないものがあるなって改めて思った。自立って二文字だけどとんでもなく果てしない気がする。

そして昨日は養鶏場を経営して、HIV陽性者のための雇用創出活動を行っている女性のところに訪問してきました。
一言でいうとめちゃくちゃ大変そう。でも楽しそう。盗みを働く人やしっかり働いてくれない人はやっぱりいて、その都度何人も解雇してきたとのこと。やはり彼女自身が厳しい態度で従業員に接していて、うまくプレッシャーをかけているというか、この事業がうまくいかなかったら自分たちの生活も危ういという危機管理を持たせているような気がした。
畜産のノウハウ自体の教育はそこまで難しくもないかもしれないけど、気持ちの改革って時間も労力もかかる。その中でウガンダ人がウガンダ人だけで生活できるようなサイクルを構築しようとしている姿にとても感銘を受けました。今回はスタートアップ期間だったのですが、鶏が卵の生産を始めて、繁殖したときに事業がどうなっているのか見に行きたいな。

2014年9月2日火曜日

スタツア➃(ブシア編)

久し振りにブシアに帰ってきて、みんなが温かく迎えてくれたことが嬉しかった。けどやっぱり本当になにもないなって。よくこんなところで4か月くらい生活してたなって思う。ADEOスタッフの働き方もナイロビとブシアでは全く違っていて、せかせか働いているのがナイロビ、あんまりプロ意識がないというか、がはがは笑っているのがブシアという感じ。おおざっぱにいうと。
ずっとブシアにいてなんとなく慣れてしまったというか、問題を問題ととらえない癖みたいなものが無駄についてしまったなと、ナイロビでの滞在中に思ったので帰国までにブシアの改善点をしっかりレポートなりでまとめて文字化したいと思います。

【FLEP】FLEPという毛布を送る運動の協力団体のオフィスにお邪魔したあと、実際に毛布を支給された受益者の家に訪問した。一軒一軒を訪問して、何に苦しんでいるかとかそういう話をただただ聞いてまわるという工程がとても心地よくないというか、意味を見出せないというかもやもやした。遠くの国からわざわざ肌の黒くない人が数人やってきて、話を聞くという行為自体が、ある種の期待感のようなものを植え付けていないのかなと考えたりして。もちろん現場を見るという行為は自分たちにとっては有益なことなんだけど、完全に割り切れない気持ちもあって最後までもやもやでした。

【Unicef 手洗いプロジェクト】Unicefがおこなっていた手洗いプロジェクトの一環で建設されたトイレのある学校に訪問。トイレを見てまわっていたときに、このトイレはこういう風に建てられるものではなかったんだと謎の男性に文句を言われる。彼の言い分ではコミュニティ側の言い分と、実際に建築を担当した業者(支援側?)の言い分とのあいだに最後までギャップがあって、最終的に支援者側の言い分が通されたとのこと。プロジェクトの詳細を知らないからなんとも言えない部分もあるけど、文句を言われたときにADEOスタッフははいはいはいはいという感じで聞く耳すら持っていなかったところに違和感を覚える。受益者側の言い分が全てではないとは思うのだけど、聞く必要はあるんじゃないか。

【Healthy Choices】15歳から24歳の女性に対して行われているHIV予防啓発プログラムを見学。基本的には性交渉をする時はコンドームを使いましょうという話だったんだけど、一つ面白かったのは結婚していて、相手がHIV陽性でないのであれば、コンドームを使う必要はありません!みたいな話をしていたこと。家族計画とか一緒に教えないのかよと思って。そもそも子供はいればいるほど良いという価値観がケニア、特に村の方ではあるので、家族計画ってなに?っていう感じなのかもしれないけど。あと参加者の中には既に小さい子供を連れてきている人がいるのに若いうちから子供をつくると大変なだけです。ろくなことがありません。みたいな教育をしていることにも違和感ありまくりでした。


【ムソマ孤児院】ここが一番もやもやしました。まあ分かっていたことではあったけど、スタツアメンバーに対して終始わたしたちは困っています。支援が必要です。というアピールをしていていらっとしたというかなんというか。でも彼らをそういうメンタリティにしてしまったのはADEOでもあるなとは感じていて、家屋の建築だったり、物資の支援をしたことで支援に対する依存のようなものを中途半端に生んでしまったのではないかと。個人的には彼らのそういったメンタリティを「怠惰」という一言で片づけるのも違和感があって、何かきっかけを与えて自分たちだけで何かできるんだという自信を与えるような支援が一番価値があるんじゃないかと思う。
あと、お土産としてムソマの子供たちにサッカーボールをあげたんですが、なんか「絵」になるものを選んだ感じがしてむず痒かった。一日一食とかしか食べない子にとっては普通に食糧もらったほうがありがたい支援のような気もするけど、食糧とサッカーボールだったら後者の方が「絵」になるというかなんというか。サッカーボールをもらって喜んでる子供たちが目の前にいるのに、なんとなく裏を読んでしまう自分がいて、支援というものに対して懐疑的になっている自分がなんとなく悲しかった。

読み返したら批判とかネガティブなことばっかになってしまいましたが、個人的にはブシアだからこそ学べることもいっぱいあって楽しいですよ。元気です。

スタツア➂

やっとネットが繋がりました。今はウガンダにいるのですが、ケニア滞在を振り返ります。

【FKP】ケニア最大のスラムであるキベラスラムで、音楽教室のような活動を行っているNGO。教室で子供たちがものすごく元気に歌を歌っていて、なんだか生きてるなっていう感じでした。平和についての歌だったり、平等についての歌だったりをうたっていて、割と宗教チックな感じだったけど、その宗教が心の充足につながるのであれば、それも必要なのだろうと。スラムのような厳しい環境では強く生きていかないと生きられないのだろうし、音楽を通して前向きに生きるというアプローチはとても有効なんだなと感じました。小さい頃からその施設を利用していた若者が、先生として小さい子供たちの面倒を見ている姿を見て、コミュニティのなかで憧れの存在というか、この人みたいになりたいから頑張ろうと思えるロールモデルがいるということって、ものすごく大事だし幸せなことなんだなと実感しました。

【CanDo】CanDoの方々とは一緒にディナーをするという形だったのですが、終始ケニア人と働くことって大変ですよねえそうですよねえみたいな話をしていました。時間通りに来ないくせに給料だけ請求してきますよねえとか、普通に騙してきますよねえとか。ものすごく共感したのは、支援者側のメンタリティの問題。やっぱり最終的には被支援者が支援を必要としない段階まで持っていくのが理想的なんですが、その状態まで持っていくのって物凄く大変な話だなと。支援をしていく段階で一種の支援慣れというか、なにかしてもらえるから自分たちはそれを待っていればいいやと思う人は必ずいるはずで、支援を与えたがゆえにかつて持っていた逞しさというか反骨心のようなものが消えるというリスクもあるという話が、個人的にとても胸に刺さりました。

その後マサイマラにも行ってきました。マサイ族の友達もできたし、動物もわんさかいたし、刈りに失敗するチーターの情けない姿も見れて大満足でした。写真もいつかあげたいです。

2014年8月21日木曜日

スタツア➁

色々なところを訪問できて、とても感謝です。学生たちのために時間を割いてくださる皆様の優しさに頭が上がりません。続きまして…

【Tuko Pamoja】HIV陽性者の女性が、ビーズ・カバン・スカートなどを作成し販売することを手助けし、女性のエンパワーメントに貢献している団体。彼女らの話を聞いていると、支援ありきの考え方ではなくて、自分たちだけで何かを成し遂げてみせようという気概があって感銘を受けた。ブシアのムソマ孤児院では、ADEOに対して何かをしてくれるんじゃないかという期待感はものすごく感じて自分たちだけでなんとかしようという感じではないように思う。きっと毎日生きていくお金を得るだけでも簡単なことではないから、そのメンタリティにたどり着くまではとても大変だとは思うけど。Tuko Pamojaのメンバーのようなやる気があれば、最終的には自立してやっていけるような気もするけど、彼女らの勤勉さはとても珍しいようにも感じて、仮に受益者が怠惰であった場合にどこまで監視や介入をすべきなんだろうなと考えたりした。
最後にTuko Pamojaの陽性者グループにあなたたちの強さはどこから来ていると思うか。というものすごく雑な質問をした。彼女らは「最初から与えられることを期待していないから。何かを期待していたら依存状態が生まれる」とさらっと言っていたけど、その逞しさはどこから来ているんだ…。分からない…。



スタツア➀

先週の月曜日からナイロビにいます。ビルもたくさんあって、交通量もめちゃくちゃ多くて、みんなおしゃれで、いわゆる「都会」の風景にはいまだに慣れず、ブシアというゆったりとした良くも悪くもやる気ゼロの環境に自分がどっぷり浸かっていたんだなと実感しています。ここから訪問先の感想です。

【JICA】とてもスマートで素敵な方でした。個人的にはSHEP(Smallholder Horticulture Empowerment Project)という農業プロジェクトの話が印象に残った。「作ってから売る」というアプローチから「売るために作る」というアプローチに転換した農民組織強化プロジェクトとのこと。確かにブシアでも、とりあえず何か野菜を栽培して小金を稼ぐというサイクルを繰り返している人々は多くいるので、農民に経営としてのノウハウを教えるのはとても有益な試みだなと思う。ただ、ブシアみたいにトマト・玉葱・ジャガイモなど限られた野菜しか栽培されていないところで、生産効率をあげても供給過多にならないのか。とか、環境に適した商品作物を新たに栽培したとして、それがすんなりとコミュニティに受け入れられるのか。とかいう疑問はあったけど、時間も限られていたのですべては質問できず…。自分でも調べてみたいと思います。ブシアでは日本人に会えないので、ケニアの未来を思って試行錯誤してる日本人がナイロビにはいっぱいいるんだということに純粋に感動しました。

【チャイルドドクター】医療に手が届かない人々に笑顔で手を差し伸べるクリニック。一般外来、予防接種を含む乳児健診、妊婦健診、薬局、検査、カウンセリング、HIV感染者への包括的ケアサービスなど様々なサービスを提供している。上手く言葉にできないけど、ぐっとくるものがあった。自分が仮に死ぬときに何を思い浮かべるかという話で、よく分からないけど泣きそうになった。日本にいるときはなかなか「死」というものが身近にはなくて、遠いお話だったけれど、ケニアに来てからはそういうことを考えることも多い。(ケニアにはエボラもないし安全ですけどね。)家族とか友人とかに恩返しできなかったなとか考えて、あ、まだ生きてるじゃんって思ったりする。
スラムの活動地も拝見して、厳しい環境で逞しく生きている人々の姿と、なんだか疲弊してしまっている人々の姿を見て、うーん…って思ったり。3人の子供を抱えながらも、夫に逃げられたという27歳の女性は目が死んでいて、人生に対する気力みたいなものを感じなかった。死んだように生きている人々に対する支援って物質的なものだけでは解決しないし、精神的支援ってインパクトは見えづらい気がして、これまた難しいなと思ったり。以前に初めてスラムに行ったときは外部から来た人間の分際で、かわいそうだなと同情する気持ちもあったけど、今回は一歩引いて冷静に見ている自分がいて、逞しくなったのか冷たくなったのかどっちだよとぼんやり考えたりした。

ナイロビにはいっぱい刺激がありますね。また他の訪問先についても更新します。

2014年8月16日土曜日

スタツア

今週の火曜日にADEOJapanからスタツア組がやってきました。
久々の日本語とナイロビの発展具合に感動です。刺激に溢れている…。
いろんな場所・人々を訪問しているので徐々に更新します。
ホテルでネットをあまり使えないのが痛手ですが…。今日はキベラスラムです。それでは。

2014年8月7日木曜日

Shuga Session

そういえば先日Aphia PlusというプロジェクトのひとつであるShuga Sessionというものを見てきた。4月末にブシアに来てからようやく始まったよ。長かった。しみじみする。

Shuga SessionというのはHIV予防・啓発活動の一環で、都市部で遊んでいる若者たちの生活を描いたビデオを見ながら、登場人物たちが起こした行動についてディスカッションをするというものもの。ビデオ自体はなかなかのハイクオリティ。仕事を手に入れるためにおじさんを誘惑する若者、酒を飲むと歯止めが効かなくなる女性、とにかく誰でもいいから手を出す男、自らのHIVステータスを隠しつつもコンドームを使わないおっさんなどなど問題人物揃い踏みなビデオなのです。

今回はKisoko Secondary girls high schoolという学校で上映をしたのだけど、意外とみんな話を聞いてしっかりビデオを見ていることに少し感激した。キスシーンやなかなか際どいシーンのときはなぜか笑いが起きていたんだけど、日本の高校で上映したらどんな反応なんだろうと思ったり…。
ビデオを見終わった後の議論の時間で、登場人物の性格や行動を振り返る。
ひとりの女子生徒が「コンドームをしっかり使わないといけない」という旨の発言をしたときに、スタッフが「学生のうちは勉強が本業なのだから、性行為自体がナンセンスなんだ」という風に言い返していたんだけど、なんとなくもやっとした。まあそれも間違ってはいないのだけど、別にその女子生徒の発言を否定しなくてもいいんじゃないかと。その日の参加者は15才以下の女子生徒がほとんどだったので、終始「勉強がいちばん大事。夢を叶えるための努力をしましょう。彼氏をつくったりするのはいつでもできる。」と声高らかに訴えている姿が印象的でした。

2014年8月1日金曜日

時間がない

ケニアでも7月が終わろうとしている。

ここ最近はなんだか色々とうまくいかずにブログを更新する気力が起きなかった。うまくいかないこと、思い通りにいかないことに慣れてきてしまっているような気もしていて情けない。

明日までにフィードバックが欲しい、これについて教えてほしいと何度主張しても、その明日が訪れることはほとんどないといっていい。まあ日本とケニアでは時間の流れ方が違うし仕方ないかと慣れてきたつもりではいたけど、やっぱりまだいらっとしてしまう。急な要件の場合は、ケニアのゆったりとした時間の流れが致命的になるし。

現地スタッフは時間通りにやってくれないのに、なぜか急にやる気スイッチみたいなものが入る日があって、一気にだめだしや要望なりをぶつけてくることに、ここ最近は疲れ気味。いろいろ言ってくれるのはありがたいことだし、やることないよりは断然いいから、まだ頑張れるけど。
人に何かを言われていらっとする時って、その人の意見が的外れで、「何言ってるんだこいつ。
お前に何が分かるんだ。」となっていらっとする場合と、その人の意見が自分にとって痛い所、本質を突いていて何も言い返せない場合の二種類あるなと最近思った。気合を入れないとな。

疲れ気味だからこそ、まだ髪があった時代の楽しそうな写真貼っときます。

2014年7月26日土曜日

Facebook

今週はひたすらにADEO BusiaのFBページを更新していた。
FBには長い文章を載せづらいので、新たにブログも解説。もちろんケニアの人にADEOの活動を知ってもらうのが主な目的だけど、今後の研修生の方が用いるデータベース的な存在にもなればなと思う。

ページにいいねをしてもらうという行為について考える。ADEO BusiaのFBページが多くの人に認知されたとき、どのようなメリットがあるのかとか。
ひとつのプロジェクトについて、ファシリテーターとして協力してくれる人の求人が容易になる。プロジェクトの宣伝ができる。とか、色々あるとは思うけど、もうひとつ考えるのは、周囲の期待が大きくなれば、ADEO Busiaスタッフの意識も高まるんじゃないかなということ。

このFBページはケニア人のためのものなので、実際にページにいいねをしてもらいたいのは、主にケニア人なのですが、日本にいるメンバーの方々にもこんな感じのことをしてますというのを知ってもらいたいということもあり、いいねのリクエストを送らせていただきました。

いいねしてくれた方、ありがとうございました。興味がある方、覗いていいねしてやってください…。

2014年7月23日水曜日

100日

なにげなく手帳を眺めた。

昨日でどうやらケニアに来て100日が経ったらしい。
この100日間、良くも悪くも考えることはたくさんあった。

最近感じたこと。

日本人であるということ。
ケニアという日本から離れた国にいるからこそ、「日本」という国を意識する。この前たまたま東京を舞台にした映画を見て、自動ドアや満員電車、電灯に照らされた夜の街を歩く会社帰りの人々の姿に懐かしさと、ほのかな怖さを覚えた。
日本にいれば(というか東京にいれば?)、大概のものは手に入るし、大概のものは食べられるし、大概のことはできると思う。お金さえあれば。色々なものや人に溢れた世界には、色々な楽しみや財産も転がっていて、同時に色々な欲や嫉妬も溢れているのは自然なこと。
その点では、ケニアには色々なものが足りないけど、精神的にはよっぽど先進国だといえる。もしこれからうまい具合に経済成長して、色々なものや人を手に入れた時に、この精神的な豊かさがなくなっていくのかと考えると少し悲しい。

ただいまケニアは14:50です。体調不良、別の場所でのミーティング、大学の授業、原因不明というそれぞれの理由でなぜか4人スタッフが来ていなく、オフィスには2人のみ。今週はひたすらにADEO Busiaブログの更新をせかせかと進めていたのだけど、少し飽きたのでブログを更新しました。

2014年7月20日日曜日

ボス

金曜日にナイロビからボスがやってきました。
彼がブシアに来るというのは当日まで知らされておらず、久しぶりの再会にテンション上がりました。
面白かったのが、ブシアオフィスのスタッフが明らかに緊張していたこと。喋り方とかもいつもより
大人しいし、あまりに静か。

ブシアオフィスでの進捗具合だったり、色々と話をして、すぐに具体的なアドバイスをくれることに感動しました。やっぱり田舎と都会では時間の流れ方が違うんだなと改めて実感。

リソースセンターの話をしていて、いずれかパソコン講座やビジネススクールを開設して、ADEOに少額でも資金が入ってくるようにできればベストだねと言われました。メインテナンスのためのお金もかかりますし。今の問題点を解決したうえで、新たに生まれる問題点への対策を常に考えるようにしろと、とても的確なアドバイスを頂きました。ありがたい。

2014年7月18日金曜日

子供

何人家族なのかよく聞かれる。
4人というと4人だけかよという反応をされる。
周りを見ても、5人6人7人兄弟というのはざらにいる。

自分は21歳で大学に通ってるし、お金もないし、結婚なんてまだ現実的なものではないけれど、
21歳で既に子供5人いますという人もいる。もちろん複数の女性の子供。

ホテルで働いている同い年の奴は、ことあるごとに日本人と結婚したいから紹介してほしいと頼んでくる。彼曰く、ケニア人のことは好きになれないとのこと。ケニア人女性を好きになったことがなく、学業の妨げになるので、彼女もつくったことがないらしい。ああ、こういう純粋というか生真面目な若者もいるんだなと思ったら、でも子供は4人いるんだけどね。というどんでん返し。

彼は大学に行くためにお金を貯めているらしいけど、月収は日本円で言ったら5000円くらいしかない。この収入で子供たちはどう生きていくのか。放置かな。
自分で招いた結果なのに、「俺は苦しんでるんだ。金を恵んでほしい」と冗談なのかもしれないけど、しつこく言ってくることにいらっとして、なんで避妊しないんだと追求すると、「コンドームが高いから」としれっと言いやがった。
「コンドームより子供育てるための費用の方がよっぽど高いと思うけど」と返したら、それはその通りだとなぜかげらげら笑っていた。へらへらした態度がとても不快だった。しまいには、女性を見た時に脳から出る信号の働きとか説明しだしたから、はいはいはいはいで終わらせた。

国が違うし、文化も違うんだから、考え方が違うのは当たり前。
でもこの社会では明らかに女性への負担の方が大きい。納得がいかない。

2014年7月16日水曜日

ビザ

キスムにてビザを更新。
とにかく無事に更新できて一安心。2000シリングです。
いかついおじさんに色々質問されたけど、やっぱり黒人って迫力あるな…とぼんやり考えながら冷静に振る舞うことができるくらいには、ケニアに慣れてきた。
普段は周りに日本人はおろか外国人もほとんどいないため、パスポートを握りしめたインド人や白人を多く見かけて、謎の親近感を覚える。
日本人だということを告げると、じゃあ安全だなはははと豪快に笑われる。日本人だったら別に詳細聞かなくてもいいやとさらっと言っていたけど、それはそれでどうなんだ。日本にも悪い奴はいっぱいいますけど。って教えてあげたくなった。

最後に指紋を取られた。要領がよく分からず戸惑っていたら、実は不審者なのか?はははとブラックジョークをかまされた。やられた。

今回はスタッフの一人と一緒に手続きに行ったのだが、入国管理局で働いている男性とそのスタッフが友達ということで、申請までの待ち時間もほとんどなかった。待っている人がいるのに先に申請に通されたことに違和感というか申し訳なさを感じたけど、こういうことケニアに来て多いなと考える。まあ日本でもバイト先に友達来たから特別割引とかそういう事例はあるのだけど、身内への優遇という面ではケニアの方が断然多い気がする。これが温かみにもなるし、汚職にもなっちゃうんだろうな。

2014年7月10日木曜日

前半戦

もうすぐで前半戦が終わろうとしているので、これまでを少し振り返る。
4月の後半にナンバレオフィスに来てから任された仕事はほぼない。以前の研修生の方々から、仕事を任されることはほぼないので自発的に動いていくようにとアドバイスを受けてはいたけど、正直予想以上だった。もともとケニアはゆったりとした雰囲気なのに、資金難という条件が重なり更にゆったりとしている。

最初の1週間はうわあ本当に何も頼まれないわ期待されてないわどうしようと悩んではいたものの、何かしようと思い立ち、ADEOの過去のプロジェクトサイトであるムソマ孤児院を訪問することに。初めての訪問で様々な困難を抱えている人々を目の当たりにし、プロポーザルを書こうと決意。それ以来、家畜を持っている人はどれくらい利益を生みだしてるのかなとか、孤児のうちどれくらいの割合が学費を払えているのかなとか、教育へのモチベーションの違いはどこから来るのかなとか、なにか疑問が浮かぶ度に実際に訪問して、生の声を聞いてきた。何度も訪問しているので、ムソマの人々はYoheiはもうムソマの一員だと歓迎してくれるんだけど、それが嬉しくもあり心苦しい。訪問する回数が増えれば増えるほど、彼らが自分に向ける期待も大きくなっていくのが分かるから。自分は単にもっと知りたいと思って訪問していても、彼らにとってはそれだけじゃない。もしこれで資金を取り付けられなかったら失望させてしまうんだろうな。頑張りたい。

もう一つ書きたいのがリソースセンターについて。リソースセンターはナンバレオフィスに隣接している施設。若者たちがパソコンを学びに来たり、友達と話しに来たりする憩いの場のような感じ。地域ごとの青年グループが各々が抱える課題について話し合う会議などもここで行われている。
かといってもほとんどのパソコンが壊れていて、いくつか稼働しているものもウイルスに感染して仮死状態。150冊ほどある本も学術的なものばかりで誰も読んでいない。インターネット配線も機能停止。
決してパソコンを有意義に学ぶことができる環境とは言えず、ナンバレオフィスのスタッフもナイロビオフィスにメールを送る場合はいちいちネットカフェに行ったり、若者の誰かがモデムを持っていないか探し回らなければならず、業務にも支障あり。
インターネットが使えれば求人情報などの情報を手にいれることも容易になるだろうし、この施設を利用する若者が増えれば、互いの農業や牧畜のノウハウを共有したり、有意義な情報交換を促進することができるはず。
ということで、以上のような理由からこの施設の環境改善を訴えたプロポーザルをナンバレオフィスのボスに提出。駄目出しでもなんでもいいからコメントが欲しかったが、返ってきた答えは「いいんじゃない?でいくらくらい集めたいの?」のみ。舌打ちを堪える。
以前から彼には「インターネット配線がなぜ機能停止したか、稼働していないパソコンは修理可能なのか、それとも新しいパソコンを購入する必要があるのか。諸々の条件の違いで予算も変わってくるし、実際に業務に支障も出てるんだからとりあえず修理業者を呼んで状態を確認すべき」ということを訴えてきた。その意見自体には同意してはいたものの、何度催促しても「すぐ来る。分かってる。今は忙しい。」
そんなに忙しいならFacebookに自分の写真投稿してんなよと突っ込みたい。彼の陽気で明るい性格自体は好きだけど、彼の行動の遅さはナンバレオフィス全体にブレーキをかけているのではと疑問。オフィスのスタッフもそんな彼の正確に半ば呆れている。でも諦めたら終わりだと思うし、しつこく食い下がる。なんせ自分には時間がないし。

以前から一つのことに集中すると周りが見えにくくなる性格だけど、ムソマやリソースセンターの案を進めるうえでも、問題やニーズの発掘するための視点は持ち続けたい。とても愚痴っぽくなってしまった。そしてお腹の調子がすこぶる悪い。オフィスのトイレはただの穴と鍵のかからない扉なので、何度もトイレに行くのはしんどい。エネルギーを使う。詳細は割愛。

2014年7月9日水曜日

サバサバデー

昨日77日はサバサバデーでした。

「サバ」はスワヒリ語で「7」です。ということで77日がサバサバになります。

ケニアでは与党ジュビリー連合対野党CORD連合という構図があるのですが、サバサバデーにはオディンガ代表らによる野党連合大集会が開催されます。
オディンガ代表の出身部族であるルオ族が多数居住するキスムでは、「キクユ族(ケニヤッタ大統領出身)出て行け、カレンジン族(ルト副大統領出身)出て行け」などのビラが、キクユ族・カレン人族が多数派のナクル、ナイバシャでは、「ルオ族出て行け」などのビラが町中に張り出され、部族間の緊張が高まる日です。

 

部族間紛争とか物騒だな…と心配をしてはいたんですが、特に何もなく平穏な一日でした。ケニアに関して物騒なニュースを聞くことも多く、日本にいる友人や家族に心配をかけていることもあるとは思いますが、僕が住んでいるナンバレという地域はとても安全です。生活にも慣れて危機管理の意識が薄れてくる頃かなとも思うので、とにかく何事もなく過ごせるように気をつけます。

2014年7月5日土曜日

7月

いつのまに7月です。あともう少しで研修の前半戦が終わる。
ここまで長かったような短かったような…。

4月中旬にナンバレオフィスに来た最初の日に、今ファンドが途切れているから、進行中のプロジェクトはないよとさらっと告げられ、絶望したことが懐かしい。まあ遅くても6月初めくらいには再開できるんじゃないかなと言っていたけど、結局再開したのは先週の日曜日。まあ1か月遅れただけじゃんという考えになるのが、ケニアのゆったり感に侵されてきた証拠。

おかげさまでナンバレオフィス内でやる仕事はほとんどなく、ムソマ孤児院という過去のプロジェクトサイトに多くの時間をかけることができたのは不幸中の幸いかなとも思う。日本にいても募金とか支援としてできることはあるけど、なかなか受益者まではイメージしずらい。貧困で苦しんでいる子供たちだったり漠然としたイメージを思い浮かべることはできても、そこで生きている人たちひとりひとりの顔や声や思い浮かべることはできない。けど今は自分のなかで受益者として具体的に浮かび上がるものがある。これはひとつの大きな収穫。

ケニアに来る前、「困っている人々を私が助けたいんです」とか言っている大学生を見て、この人本気で自分が助けられると思ってんのかなと冷ややかに見ていたときもあったけど、何かをしてあげたいという気持ちを持つのは大切なことのようにこの頃思えてきた。世界はそんな簡単には変わらないんだけど。難しい。

2014年7月2日水曜日

温度差

この前初めて会った若者たちとHIVについて少し話した。
日本にはHIV感染者はいないのかと聞かれたので、もちろんいるけど、ケニアほど多くないと答えた。何故?と聞かれたので、なぜだろうと思いつつもコンドームを使うから?娯楽が多く、むやみな性行為に走るリスクが低いから?などど自分の意見を述べていたら、話していた若者のひとりが
「でもしょうがないよね。HIVって風邪みたいなもんだし。気をつけててもかかるときはかかるし。」
とぼそっと言った。
いやいやそれは違うだろと反論すると、「え、君はケニアの社会が完璧になることを望んでるの?」と付け加えられた。このもやもや感は何なんだろうな。先進国の主張を一方的に押し付けるのはエゴだと思うけど、ケニア人の中にもとても温度差があるんだなあ。

2014年6月30日月曜日

前進

なんとなく実現に向けて前に動いている気がする。
でもなんとなく自分がケニアにいる間に何かを成し遂げたいという思いで、急ぎすぎていないかなと不安になることもあって。
自分が損するだけだったらとりあえずやってみよう精神でなんとかなるけど、自分の判断が人様の人生を左右するかもしれないと思うと、慎重さも大事だなと感じる。
具体的に言うと、家畜を供給して住民の自立した収入創出をしたいと考えているのですが、家畜の維持費、実際の利益などもしっかり考慮しないといけないなというようなことです。餌はいくらかかるの?シェルターの維持費は?など話を聞いても大丈夫大丈夫とあしらってくるスタッフもいます。何が大丈夫なんでしょうか。

バランスですね、バランス。

2014年6月26日木曜日

日本語はやっぱり良い

ADEO Nairobiから日本人の訪問者がいらっしゃいました。ナンバレに来てからお会いした2人目の日本人です。日本語っていいです。今回の訪問の目的は、ムソマを訪問し現状を共有すること。ということで、ADEOスタッフとともにムソマを訪問してきました。

日本人が2人いるという光景はなかなか異様な光景で、ムソマの住民の方もとても興奮していたように思います。状態の悪い家を見てまわったり、HIV陽性者から話を聞いたり、近くの学校に通う子供たちに会いに行ったり、どのような支援を望むか住民の声を直接聞いたりという感じでとても濃い時間を過ごせたのではないかなと思います。
訪問後に話し合って、家畜の供給についてプロポーザルを書いてみましょうということに決まりました。靴・制服・学習用具・学費・頑丈な家、様々なものが足りていないのは明らか。そして、これらの問題は貧困から来ている、ということで、現地の人々が自分たちでお金を生み出すことができればと模索中です。まだ実際に資金を獲得できるかということは分からないけど、彼らからは日本人ならばお金を持ってきてくれるはずだという期待をひしひしと感じます。自分に出来るだけのことはやってみたいです。

2014年6月23日月曜日

研修について

今まであまり研修そのものについて書いてなかったので、どんなことをしているのか簡単に書きます。

普段オフィスにいるときは、活動報告のレポートを書いたり、今までのプロジェクトの報告書を読んだりしています。かといってそれだけでは一日中とても暇になってしまうので、隣接する病院やVCTセンターというHIV検査のための施設のスタッフからも話を聞いたりして、コミュニティでどんな問題があるのか出来るだけ多くのことを理解しようとしています。

ケニア人と日本人との大きな違いは「暇」を受け入れることです。やることない時はなにもしなくて良いという考えを彼らは持っていて、砂糖たっぷりのミルクティーを飲んでただただ話していることもしばしば。最近はAphia PlusというHIV啓発プロジェクトの再開に向けて、スタッフも以前より慌ただしくしていますが…。僕は日本人なので、何もせずぼーっとしているのも嫌だなと思ってしまうので、そんな時はフィールドに行かせてもらうようにしています。
現在進行中のプロジェクトはないので、僕が主に行っているのは、以前にADEOが家の改築などのプロジェクトをおこなっていたムソマという村です。学費を払えずに一日中家にいる孤児の子供たちや、屋根が古く雨もしのぐことができない住宅に住む人々から話を聞き、実際にどのようなプロジェクトを行うべきかというのを他のスタッフと相談しながら決め、そのための資金を調達するプロポーザルを書くのが仕事という感じですかね。

ざっくり書くとこのような感じです。まだまだ自分は未熟だと痛感する毎日ですが、頑張ります。

2014年6月19日木曜日

宗教

ケニア人の多くはキリスト教を信仰していて、毎週日曜日は教会に行っています。

「なんで教会行かないの?」
「クリスチャンじゃないから。」
「じゃあどの宗教を信じてるの?」
「仏教かな? でも無宗教と言った方が正しいかもしれない。」
「無宗教? じゃあ何も信じてないの? じゃあ人間は誰から生まれてきたの?」
「えっと…」

というようなやり取りをケニアに来てから100回くらいした気がします。日本人でももちろんクリスチャンはいますが、少なくとも僕自身は普段の生活で宗教を強く意識することはありませんでした。それが良いことなのか悪いことなのかも分からないけど、神という存在を強く意識しているから、困難も乗り越えられるのかなとケニアで暮らす人々を見て考えたり…。
逆に言えば、宗教を強く意識しなくてものらりくらりと生きていけるくらい、日本は平和な国なのかもしれません。クリスチャンじゃないのに、メリークリスマス!と大騒ぎしてるんですから、平和な国というかおかしな国ですよね。
日本だと、怪しい宗教の勧誘などがあったりして「宗教」という言葉に胡散臭さを感じる人も多いと思いますが、何かを信じるのは良いことだし、それぞれの宗教や考え方に敬意を持たないといけないなと思いました。おやすみなさい。

2014年6月17日火曜日

宣言

日本ではワールドカップで賑わっているみたいですね。
試合はケニア時間で昨日の午前4時ごろ開始でした。起きてみる気力はなかったんですが、朝起きたら宿泊先のスタッフに「日本人は黒人に倒されたぞ。ぬはは。」と死ぬほど言われました。
僕はサッカーファンじゃないので誰が凄いとか誰が駄目とか分からないですが、応援はしてます。一応。
ケニアはワールドカップに出ていないのですが、ケニア人にどのチームを応援しているか聞くと大抵「オランダ」「ブラジル」「スペイン」です。理由は「勝てそうだから」だそうです。
アフリカのチームは優勝はできないだろうから、本腰を入れては応援しないそうです。適当ですね。

ワールドカップ観戦者を狙ったテロがありましたが、僕のいるナンバレという地域はとても静かで平和です。昨日の夜、「愛をこめて花束を」という歌を聞いていて、「無理に描く理想より笑いあえる今日の方がずっと幸せねええええええ」という歌詞がとてもケニアっぽいなと思いました。良く言えば「ポジティブ」、悪く言えば「怠惰」ですね。

さぼり癖を治すために、これからは2日に1回は更新をしようと思います。宣言します。

2014年6月13日金曜日

No try, no return

この前一日中停電だった日、オフィスのパソコンも使えず、スタッフも働く意欲をなくし、3時頃にオフィスを閉めた。3時に帰ってもやることないし、どうせ停電もすぐには復旧しないだろうし、ぶらぶらしようと思って近所のマーケットを散歩した。散策の目的は、どういう商売を現地の人々がしているのかを知りたいと思ったから。日本とは大きく異なった環境で、どういう風にお金が使われているかを知るための散策。

やっぱり一番多いのは野菜や穀物、果物を売っている人々。至るところで売っているので、現地の人々がどこで買うのか決める基準は何なのか気になった。揚げた魚やポテトを丸出しで置いてある店もあったが、ハエが凄まじくたかっていて買う気にはならない。

他には、本屋・床屋・薬局・バイクの修理屋・ガソリンスタンド・食堂・キオスク?などなどがあった。娯楽のための施設のようなものはあまりなく、やっぱり生活必需品が重視されている印象を受けた。歩いているとムズング(スワヒリ語で黒人でない人々を指す言葉)とか色々と声をかけられる。ガソリンスタンドの兄ちゃんに絡まれ、Welcome to Kenya, I want a woman from your country…という他愛のない会話をしていたら、体重計を持ったおじいちゃんが急に歩み寄って来て、「乗れ」と笑顔で指図。
乗って体重を見たら、出発前よりも10kg近く減っている。絶対壊れてるだろと思って苦笑いしてたら、「はい、1シリングくれ」と言われた。なんで払わなければいけないんだと聞いたら、体重測らせてあげたでしょと一言。あまりにしつこいし、ガソリンスタンドの兄ちゃんもなぜか爆笑していてフォローしてくれないし、日本円でいう1.2円くらいだしもういいやと思って、1シリング払った。
清々しい笑顔でおじいちゃんが去り際に行った「No try, no return」の一言は忘れない。

2014年6月11日水曜日

教育

今回はケニアの教育について書きます。
ケニアでは、Primary Education(8年間)Secondary Education(4年間)→大学という教育システムが敷かれています。今回、焦点を当てるのはPrimary Educationについてです。

このPrimary Educationでは学費が無料。それだけ聞くと、ケニアでも最低限の教育は確保されているように聞こえますが、そうではありません。実際にお金を払うことができずに、畑で働いていたり、家で手持無沙汰にしていたりする子供たちを多く見かけます。

では何に対してお金を払わなければならないのか。一つは「制服」です。制服は一人分でおよそ1000円。決して高すぎる価格ではないですが、11ドル以下で暮らしている人々、または日本ではあまり見かけないような5人、6人、7人と子供を抱えている大家族にとっては、障害となることがあります。また、学習に必要なペン、教材費なども負担しなければなりません。

そして、もうひとつ問題なのが「tuition」という補講システムです。学校によってこの「tuition」の詳細は異なるらしいのですが、多くの子供たちが半ば強制的にこの「tuition」に参加することを強いられています。名目上は希望者のみとなっているのですが、実際はほぼ強制となっているのです。しかも、この「tuition」にはお金を払わないといけないのです。なんだそれ。

何で?と聞いても、「知らないよ。ケニアは汚職にまみれているからね。」という納得いかない答えしか得られません。この「tuition」はPrimary Education4年生から始まる場合が多いようで、多くの家族が、子供が4年生になると費用が足りなくなる。という課題を抱えています。

学校に行っていなくても逞しく元気に生きている人々を見て、教育ってそんなに無理してまで確保する必要あるのかなと思ったこともありましたが、やっぱり学校って大事だとも思います。少なくとも自分が学校に行っていなかったら、色々な人に出会えなかったし、日々の生活への意欲を失ってしまいそうで。みんな大学に行った方がいいとは思いませんが、Primary Educationという初等教育も受けられない人がいるのは何とも言えないです。せめて選択肢はあるべきですね。

2014年6月4日水曜日

お葬式

研修と直接関係ないけど、昨日はお葬式に行った。知らない人のお葬式に行くということ自体、躊躇した部分があったけど、スタッフのひとりに「ケニア文化を知るのも仕事だ」と説得され、半ば強引に連れて行かれた。バイクで20分ほど荒い道を走った先で目にしたものはとても小さな棺だった。その小さな棺の上には赤ちゃんの写真が飾られていて、両親と思われる男女が棺に寄り添って泣いていた。ケニアに来てから人が悲しんでいる様子を見たのは初めてだったように思う。そのくらいケニア人はよく笑っている。色々なものが足りていないけど、笑っている。僕はよく笑うケニア人の心の豊かさに戸惑うのと同時に、羨ましいなと思っていた。でもきっと自分の見てきた笑顔の裏には、日本ではなかなか起こりえない悲劇が少なからず起こっていることを実感した。小さな棺を運ぶ様子を直で見るのは初めてだったので、胸が痛んだ。

<印象に残ったこと>
①とにかく歌う。静かな歌のみならず、金切り声をあげながら手を叩くような歌まで。別にお葬式でリズム刻まなくてもいいんじゃないかな…。
②うろちょろしている者が多い。式は屋外で行われているけど、とにかく小さな子供や鶏がうろちょろしている。そしてそれを止めるものはいない。神父さんが話している最中に、鶏がこれでもかと鳴いていて……となった。
③集中力なし。スワヒリ語なので内容は理解できなかったけど、両親の知人と思われる人々がスピーチをしている最中、携帯をいじったり、さらには通話を始めたり、さらには通話しながら笑ったり…。文化の違いといったらそれでお終いだけど、胸糞悪かった。

ケニア式お葬式に出席して、色々考えることがあった。やっぱり、日本が好き。

2014年6月2日月曜日

気付いたら6月

更新をさぼっていました。すみません。
今回は真面目なことを書きます。

最近考えることは支援の「公平性」と「継続性」です。
どのような支援をすれば波及効果が期待できるか、どのような支援をすれば今後の受益者が自立して暮らすことができるのか。例えば、仕事がなく、食糧が不足している家庭に食糧を供給したとしても、援助が終わったときに同じ課題に直面することは目に見えています。かといって、その支援によって助かる人がいるのも事実です。「継続性」って何でしょう…。

また、一つのプロジェクトを行うにあたって資金を取り付ける必要のあるNGOでは、ハード面の支援を行う際に「公平性」の面で問題が生じます。新たな住宅を何軒も建設することは、それだけコストが必要になるので、支援の対象を吟味する必要があるからです。ですが、これも上と同様に、その支援によって助かる人がいるのも事実です。実際にフィールドを訪問し、屋根が脆弱で、相当な雨漏りをするため快適に睡眠をとることもできないという声を聞くと、屋根を改修してあげられたらなと強く思います。「公平性」って何でしょう…。

「公平性」や「継続性」がある支援をしたいとスタッフと話していたら、「でも全員は助けられない」と言われました。そりゃそうだ。理想と現実と、リスクとリターンと、色々バランスを取らないとという感じで今は余裕がないですが、そのうちこの思考のサイクルを楽しめるようになりたいですな。

2014年5月25日日曜日

休日

今日はなんともケニアらしい一日だった。

7時 起床…休日ということで、もう一度寝る。
9時 起床…ホテルスタッフの凄まじいノック音で起こされる、How are you?を言いに来たぜと笑顔。こちらは全力の苦笑い。
朝食…マンダジという日本でいう揚げパンのようなものと、砂糖たっぷりのミルクティーで優雅に一日が始まった(はずだった)
10時 洗濯(もちろん手洗い)。今週は雨の日が多かったため、だいぶ溜まっていたものをひたすら洗う。絞る。洗う。絞る。くるりを聞きながらの作業。くるりのブレーメンっていう曲とても好きです。
約1時間半かけて、強い日差しの下、木に洗濯物を干す。完璧。
昼食をとる。
ぼーっとする。
2時 ホテルのスタッフに一口だけもらったチキン風味のインスタントヌードルが旨かったので、散歩がてらさっそく買いに行く。あった。買う。
3時 ホテルではネットの速度が遅いため、メールをチェックしにネットカフェに向かう。チェック中に停電。作業が消える。まあしょうがないやとネットカフェを出た瞬間に豪雨。絶望。

雨が止むまで待つ。洗濯物…。

5時 ホテルに戻る。案の定、全てが木の上で寂しそうに濡れている。ごめんな。ここ最近は、18時くらいになるといつも雨が降っていたけど、17時くらいまでなら平気だろと思ってたんだよ。
ずぶ濡れの洗濯物を部屋に持ち帰る。

夕食。メールチェック。(遅いけどホテルでも出来る)
スワヒリ語で挨拶をしただけで知らないおじさんがビールをくれる。色々な意味で沁みる。
ビールのおかげでもう眠い。(21時現在)

明日もまた洗濯をする。

2014年5月21日水曜日

支援

暑かったり、豪雨になったり、霧だったり、天気がめまぐるしく変わって戸惑う。
本当に必要な支援ってなんなんだろうかとも戸惑う。
そもそも難民キャンプだったり、紛争被害者の救助だったり、危険が目に見えて差し迫っているわけではないから、どこに重きを置くべきなのかが分かりづらい。

先日、ムソマ孤児院に再訪問して、HIV陽性者の方たちが抱えている課題について詳しく話を聞いてきた。自分たちが栽培した食べ物で、自給自足の生活をしている人がほとんどで、お金が足りないことが問題だと言っていた。貧困に苦しんでいるというのは事実なのかもしれないけど、日本にいた時に想像していた貧しい人々とは違う生き生きとした姿がそこにはあって、本当に支援は必要なのか分からなくなる。

もちろん日本よりも生活水準は低いだろう。
でもそもそも日本と比べる必要性がない。ケニアはケニアだし。

もっと現地の人々の考えを理解したいなあ。

そういえば、昨日つまらないってスワヒリ語でなんていうんだと聞いたら、分からないと言われた。つまらない時は英語でつまらないというから、スワヒリ語では分からないとのこと。つまらないっていう概念がないって凄い言語だなと、驚きというか、感激。


 

2014年5月17日土曜日

お金

お金についてよく考えるようになった。やっぱり、ケニア人にとっては黒人じゃない人々=お金持ちというイメージが強いらしく、道を歩いていると、お金ちょうだい。とか、なんか買って。とか言われることが少なくない。そう言われるたびに、嫌悪感とまでは言わないけど何とも言えない感情が芽生える。
別に、50シリング(日本円で約60円)を払うことは自分にとって、そして恐らく多くの日本人にとって、大きな負担ではないけれど、初めて会った人に、「消しゴム忘れたからちょっと貸して」くらいな感じで「50シリングちょうだい」と言われると、なんで払わなきゃいけねえんだと思うのだけど、これは自分がケチだからなのか…。

僕が今住んでいるナンバレからブシアに行く際は、マタツという乗りあいタクシーが移動手段なのだが、スタッフと一緒に乗ったときは片道80シリングだったのに、一人で乗ったときは100シリングを請求された。なんでと聞いても、は?という顔をされて、もう降りるポイントは近づいてるし、20シリングくらい別にいいかともその時は正直思ってしまったけど、やっぱり納得はいかない。

決して自分はお金持ちではないけど、現地の人々からしたらお金持ちなのは事実で、日常の小さなお金のやり取りすら、実は自分は搾取されているのではないかと考えたりする。お金ってすごい。昔、ベイブレード集めるのに結構なお金かけてたな…とか、1時間でだいたい1000円くらい稼げる日本のアルバイトって化物だなとか思います。

2014年5月12日月曜日

HIVとケニア

先日、HIV陽性者のコミュニティを訪問したときのことを書きます。
ムソマ周辺地域のHIV陽性者が開くMTGに同行させてもらいました。そのコミュニティに属しているメンバーは25人とのことで、当日の参加者は14人でした。(各々の健康状態や仕事の都合などによって欠席も致し方ないとのこと)この25人という数字が、周辺地域のHIV陽性者すべてをカバーしているわけではなく、陽性者の中でも希望者のみが形成しているコミュニティです。依然として、HIV陽性者に対する差別や社会的偏見は残っているので、自分のステータスを隠している人々も少なくなく、陽性者数の正確な統計を取るのは難しいようです…。


MTG
の主な目的としては、各々が抱えている課題の共有や薬の投与などについての現状確認をして、解決案を出し合うというもの。彼らが抱えている問題としては、主に【慢性的な資金不足】と【周囲からの偏見】が挙げられました。自家栽培をしてその日暮らしをしているような人々が大半とのことで、彼らがお金を生み出すことができるようなシステムを作れないかなと考え中です。

でもやっぱり健康第一だよなーと思うと、彼らに薬を供給するなり、病院へのアクセスを確保することが最優先事項なのかとも考えたり…。色々思いを巡らせているうちに、まず先にプロジェクトを行うための資金を取り付けなければいけないという大事なことを忘れそうになります。あほだ。

偏見の問題については、率直になぜだろうと思います。日本よりHIVが身近にあるケニアでは、絶対にHIVに対する知識は人々の中に根付いているものであるはずなのに、なぜいまだに一緒にご飯を食べると感染するなどといった偏見は残っているのか、ということです。

この問題は単なる教育の欠如とかではなく、社会的弱者を生み出そうとする社会の闇みたいなものがあるような気がします…。上手く言えませんが…。本当はご飯を食べただけで感染することはないと分かっているのに、それでも差別を生み出そうという構造があるというかなんというか。上手く言えませんが…。ただの推論です。

さらに詳しくお話を聞いて、なにか解決案を導き出したいです。無理やり締めくくりました。


2014年5月8日木曜日

日本語ばんざい

相変わらず時間はゆっくりと、それでも確実に過ぎて行っているなと感じる今日この頃。おとといはナンバレに来てから初めて日本人と会って、久しぶりに日本語を聞いた。セネガル協力隊出身の女性で、現在はアフリカを旅行中とのこと。改めて、世界にはいろんな日本人がいるんだなと感じた。

結構感動したんですが、この感動を表せない自分の語彙力に絶望です。

色々とお話をさせて頂いて、確かにそうだなと思ったのが、現地の人々は日本人がおもうよりはるかに【幸せ】だということ。確かに日本より汚いし、日本より不便で、日本人より貧しいのは事実だけど、ケニア人はよく笑っている。もしかしたら、自分がもっと過酷な環境で打ちひしがれている人々に会うことが出来ていないだけかもしれないけど。

僕は、アフリカで困っているすべての人々を助けたいとかそういう高尚な人間ではないので、そこまでショックを受けてはいなくて、むしろこの地で生活する人々の姿勢から学ぶことが大いにある。
でももし、めちゃくちゃ自分たちが必要とされていると思ってアフリカに来ていたら、おい、そんなに必要としてないのかよ、助けにきてやったのにっていう傲慢な態度になりかねない。

支援を与えることは、一歩間違うと、そこに存在していた価値観を壊すだけのものになるなと感じる。単なる支援じゃなくて、現地の人々がやる気になるシステム作りの手伝いができたらいいなか思ったり…。

ふと浮かんだことを書き留めるメモ帳みたいなブログになってしまいましたが、誰かが読んで何か考えてくれていたら嬉しいです。

2014年5月6日火曜日

FMP

あっという間に5月。生活には慣れてきたつもりでいるけど、いまだに自分がケニアにいるという実感がなく、ふわふわしている。資金難の状態はまだ続いていて、できることには限りがあるけど、こつこつと頑張りたい。
こうやって早い段階から、NGOの限界というか困難のようなものを目のあたりにできたのは、逆に良かった(と思うようにしてます)。

先日行ったイベントの紹介。
ナンバレマーケット内の空き地のようなところで、FMP (Family Matter Program)セッション修了者に対して、修了書の授与式を行いました。FMP9-12歳の子を持つ親を対象に行われていて、性教育を中心に、子供との理想的な接し方についてレクチャーを行うものです。参加者はセッションを受けた親と、彼らの子供たち合わせて40人程度でした。(途中でふらふらどっか行っちゃう人もいました)

修了後にソーダとマンダジ(日本の揚げパンみたいなもの)を配布。写真を添付しようとしたら、パソコンが固まったので、もらってテンションが上がっている参加者を想像してください。

ファシリテーターの1人が、みんなソーダとマンダジを貰うために来てるのよと笑いながら言っていたけど、参加者のテンションの上がり具合を見るとあながち間違ってないような…。セッションに参加する動機なんていうのはどうでもよくて、何かをそこから得ることの方が重要だけど、彼らにとってADEOはどういう存在なんだろうかと疑問に思った。スワヒリ語が分からないからぴんと来ないのかもしれないけど、思ったより授与式があっさりと終わって、これはソーダとマンダジの授与式だったのかともやもやした…。このセッションってどれだけインパクトがあるのかなと思ったけど、そもそもセッションのインパクトなんて測れないよなとも思う。難しい。

2014年4月27日日曜日

ナンバレ初週

とりあえず、今週をざっと振り返る。
4/20 (日)
土曜日は、移動移動移動。11時間くらいの長旅で、ほぼ寝ていた。それにしてもバスは縦に横にめちゃくちゃ揺れていて、日本の道路ってすげえなと思ったりした。
日曜日は、ナンバレオフィスのスタッフとバイクで二人乗りをして、ホテル周辺をぶらぶらした。めちゃくちゃ村っていう感じで、歩いている人々に挨拶すると、笑顔で応えてくれる人と、やばい奴に話しかけられたぞ、こいつ何者だ…と凍り付く人と様々な反応。


どうでも良いけど、ケニア人も足の裏は白い、というのが日曜日の発見でした。
ナンバレに着いてから、もう100回はChineseと呼ばれた気がする。日本人だといちいち否定するのも面倒なので、華麗に、にこやかに、流している。爽やかに手を振る術を身に着けつつある。

4/22 (火)
本日はナンバレオフィス初出勤。

初日ということで、現在進行中のプロジェクトや、過去に行っていたプロジェクト、スタッフについてなど、基本的な情報を全体MTGで共有した。現在進行中のプロジェクトは…と説明したいところだったが、なんと、ファンドが途切れてしまったためにプロジェクトがない状態…。

シビアな世界です。

あまり金金金とは言いたくないけど、お金がないと始まらないというのが正直なところで、フィールドに出るための移動費なども十分でない状態は、なかなかに厳しい。オフィスのスタッフはまあゆっくりしましょうよという感じで、あまり危機感みたいなものもないのが、これまた興味深い。今はドナーからの返事を待つのみとのこと…。

4/23
(水)
昨日とは一転、なんとなく慌ただしい。だったら昨日から働けよと突っ込みたくなった。
最近まで行っていたAphia plusというプロジェクトの卒業式?のようなイベントが、今週末に予定されているらしく、その準備をしていた。今日は雑務の日でした。

Aphia plus
というのは主に4種類のセッションを行っているプロジェクトで、、、

    HIV陽性者への支援 

    13-17歳の若者への性教育 

    9-12歳の子供を持つ親に対しての教育

    17-25歳の若者に対して行うdrama sessions(酒・ドラッグ・セックスなどについて)

大まかに言うとこのような感じのプロジェクトです。セッションの参加者にコンドームを配布したり、修了書のようなものを渡したりしている。主に、地域の学校や教会で活動を行ってきたらしいが、現在は一時休止状態…。詳細は、受益者の方たちからお話を聞いたときに書こうと思います…。

4/24(木)
移動費が不足しているということで、あまり我儘は言えないけど、ずっとオフィスにいるのもあれなので、それとなくフィールドに出たいなとアピールしたら、今日はムソマ孤児院に訪問することが出来た。移動費を賄うことが出来たら、以前にプロジェクトを行っていた地域にも連れていくと約束してくれました…。様子見です…。

ムソマ孤児院は、HIV孤児のために2002年に建てられた施設です。
ものすごくざっくりした質問しかすることが出来ず、教育を受けるための資金や物資が不足しているというような、過去の研修生のブログを読んでいれば分かるような情報しか得られなかった。

これからは、一回一回の機会を最大限に活かすために、質問項目とかしっかり用意しないとだめだなということに気付けたことが、今日の最大限の収穫だとポジティブに捉えます。
まだまだ自分は甘すぎる…。
依然として、ブログをどう書くべきか模索中。誰に向けて書くべきか迷う…。

スラム


更新が途絶えていましたが、元気です。相変わらずネットは繋がりにくいですね。急にですます体じゃなくなりますが、本人です。

4/18 (金)
金曜日は世銀で働いている方の紹介で、スラムの比較研究をしている女性に、スラムを案内していただいた。ご紹介本当にありがとうございました。

初スラム。すごいエネルギーを感じる場所だった。
スラムは【都市計画の失敗の象徴】でもあるのと同時に、【都市計画を学ぶヒントが隠されている場所】という話が、個人的にはとても印象的だった。そもそも、都市計画というのは、人口やエネルギーが一極集中する都市で、渋滞や公害などの諸問題を防ぎ、人々が快適に暮らすためのマネージメントをするものとのこと。したがって、人口が過度に集中してしまったスラムは、都市計画の失敗とみなされるが、一方で破綻はしておらず、多くの人々が彼らなりに幸せに暮らしているのも事実。なぜスラムは破綻しないのか、そこから学ぶこともあるということだった。
スラム=失敗、貧困=不幸と決めつけているのも、こちら側なんだろうな…。

スラムに暮らしている方が、昼食を御馳走してくれた。しかも食後のソーダまで…。彼らにとってはソーダだってそんなに高くないわけで。スラムにようこそと、にこにこ笑っている姿を見て、自分が彼らと同じ立場だったら同じことは出来ないだろうと思った。
彼らの目には、日本人はどのように映るのか、純粋に知りたい。


2014年4月16日水曜日

ナイロビオフィス

昨日からナイロビオフィスにお邪魔して、スタッフの方々とお話したり、ドキュメントを読んだりしています。
さっそくFinanceを担当しているFridahとFlorenceにNGO同士・もしくはNGOと他機関との連携について聞いてみました。例えばHIV啓発のような同じ目的を持った機関同士が、なぜうまく協力関係を構築できないのかという点が気になったからです。

彼女らはひとつの大きな問題として、【ドナー】について言及していました。同じ目的を持っていたとしてもドナーが違うと協力するのは難しいようです。そもそもNGOでは、一定期間のプロジェクトに対してドナーが資金を提供するという仕組みになっているので、ドナーとの関係構築が最優先事項であると。ということで、NGO同士で連携すれば効率も上がるかもしれないという側面があっても、それは二の次にされてしまうそうです。

もうひとつなるほどと思ったのが、各NGOのあいだで競争があった方が支援の質も上がるといった意見でした。確かに協力関係によって効率化を図るという面もあるけど、各機関がある程度の独立性を持って互いに監視するような関係の方がいいのかもしれないわねっとまばゆい笑顔で答えてくれました。

やっぱり現地の人々の意見は興味深いなと思います。全く関係ないですが、今日は朝5時に起きたらフィールドに連れて行ってあげると言われたので、必死に起きてオフィスに行ったのですが、ごめんやっぱり今日はオフィスにいてとまさかの展開でした。もっと食い下がればよかったなと今更後悔しています。強く生きていかないと太刀打ちできないっすね…。

ナイロビ到着

今日でケニアに着いて3日目です。みんなとてもパワフルで面白いです。
ざっとこれまでを振り返りたいと思います。

まずケニアに着くまで…。とても長かったです。疲れました。飛行機に乗って、ああ、本当にケニアに行くんだなと不思議な気持ちになったのを覚えています。泣く覚悟で先輩にもらった手紙を読んだんですが、内容がふざけすぎていて泣けませんでした、無念。
機内では今話題のアナとなんちゃらを見たんですが、首が痛すぎていまいち入り込めませんでした。Let it goってやつです。

なんだかんだでドバイに着いたのですが、ドバイではWesongaがめちゃくちゃ買い物してたのが印象的でした。今回はもう一人受益者のDinaという女性も一緒だったのですが、彼女もHe is rich,,,hahahaと言っていてなんだかシュールな光景でした。援助者だってそりゃ普通に買い物しますよね。
ナイロビに着いてからWesongaの家に泊まらせてもらってるんですが、みなさん気さくで優しいです。特にPaulという少年に至っては常に「なんか食べる?」「なんか飲む?」と聞いてくれます。昨日は彼にウガリについて聞いたら、じゃあ作ってやると目の前で作ってくれました。思ったよりも無味でしたが、せっかく作ってくれたのでいっぱい食べました。ご飯も思っていたより美味しくて少し安心です。

志望動機もろもろ

こんにちは。無事にケニアで生きています。
ということで、一気に更新したいと思います。まずは僕の志望動機です。
簡単に言ってしまえば、現場を見たいと感じたところからケニアに行くことを意識し始めました。

現在僕は休学をしていなければ4年生になるので、去年の後半くらいから就職活動を普通にしていたんですね…以前から国際協力や開発といった分野に興味があったので、それに関係する企業などの説明会に行ったり、いわゆる自己分析といったものをやってみたりしたのですが、すればするほどもやもやしてしまいました。
きっと自分は「困っている人を助ける仕事」という側面に、漠然とした憧れを抱いていただけなんじゃないかなと。日本ではそういう職業ってなんだか高貴なものとみなされがちですが、批判的な観点も必要なのではないかと思って、研修に行きたいと考えるようになりました。聞いただけでは分からないですし。

まだまだ自分になにができるか分かりませんが、現地で活動するNGOの観点から少しでも多くのことを学びたいです。

以上。

2014年4月5日土曜日

はじめに

改めましてこんばんは。
はじめにこの意味不明なブログタイトルについて説明したいと思います。研修を間近に控え、友人や先輩・後輩と遊んだり、真面目に話したりする機会が増えています。ありがたいことに。ケニア行ってくるわというと、「凄いね」とか「尊敬するわ」、更には「死ぬなよ」とか言われます。危機管理が重要なのは勿論なのですが、アフリカ・ケニアに行くということが、それだけで素晴らしいことと過大評価されるのにはなんだか違和感を覚えるんです。

なぜ、それほどもてはやされるのか。
それは「遠さ」のせいではと思います。物理的な「遠さ」と精神的な「遠さ」です。自分を含む日本人の多くは、ケニアという存在は知っていても、そこに暮らす人々の在り方や文化についてはほぼ全くと言っていいほど知りません。というか知ろうともしていないと思います。無関心というのは最も恐ろしいものだと思うので、このブログがケニアについて興味を持つきっかけになれば良いと思ってこのタイトルにしました。

タイトルについては以上ですかね。のちのち志望動機なども書きます。まずは行くまでの手続きをしっかり終えたいです。引っ越しめんどくさいぜ。


2014年4月3日木曜日

ご挨拶

はじめまして。
4月13日から研修に行くことになりました。よろしくです。