2014年5月25日日曜日

休日

今日はなんともケニアらしい一日だった。

7時 起床…休日ということで、もう一度寝る。
9時 起床…ホテルスタッフの凄まじいノック音で起こされる、How are you?を言いに来たぜと笑顔。こちらは全力の苦笑い。
朝食…マンダジという日本でいう揚げパンのようなものと、砂糖たっぷりのミルクティーで優雅に一日が始まった(はずだった)
10時 洗濯(もちろん手洗い)。今週は雨の日が多かったため、だいぶ溜まっていたものをひたすら洗う。絞る。洗う。絞る。くるりを聞きながらの作業。くるりのブレーメンっていう曲とても好きです。
約1時間半かけて、強い日差しの下、木に洗濯物を干す。完璧。
昼食をとる。
ぼーっとする。
2時 ホテルのスタッフに一口だけもらったチキン風味のインスタントヌードルが旨かったので、散歩がてらさっそく買いに行く。あった。買う。
3時 ホテルではネットの速度が遅いため、メールをチェックしにネットカフェに向かう。チェック中に停電。作業が消える。まあしょうがないやとネットカフェを出た瞬間に豪雨。絶望。

雨が止むまで待つ。洗濯物…。

5時 ホテルに戻る。案の定、全てが木の上で寂しそうに濡れている。ごめんな。ここ最近は、18時くらいになるといつも雨が降っていたけど、17時くらいまでなら平気だろと思ってたんだよ。
ずぶ濡れの洗濯物を部屋に持ち帰る。

夕食。メールチェック。(遅いけどホテルでも出来る)
スワヒリ語で挨拶をしただけで知らないおじさんがビールをくれる。色々な意味で沁みる。
ビールのおかげでもう眠い。(21時現在)

明日もまた洗濯をする。

2014年5月21日水曜日

支援

暑かったり、豪雨になったり、霧だったり、天気がめまぐるしく変わって戸惑う。
本当に必要な支援ってなんなんだろうかとも戸惑う。
そもそも難民キャンプだったり、紛争被害者の救助だったり、危険が目に見えて差し迫っているわけではないから、どこに重きを置くべきなのかが分かりづらい。

先日、ムソマ孤児院に再訪問して、HIV陽性者の方たちが抱えている課題について詳しく話を聞いてきた。自分たちが栽培した食べ物で、自給自足の生活をしている人がほとんどで、お金が足りないことが問題だと言っていた。貧困に苦しんでいるというのは事実なのかもしれないけど、日本にいた時に想像していた貧しい人々とは違う生き生きとした姿がそこにはあって、本当に支援は必要なのか分からなくなる。

もちろん日本よりも生活水準は低いだろう。
でもそもそも日本と比べる必要性がない。ケニアはケニアだし。

もっと現地の人々の考えを理解したいなあ。

そういえば、昨日つまらないってスワヒリ語でなんていうんだと聞いたら、分からないと言われた。つまらない時は英語でつまらないというから、スワヒリ語では分からないとのこと。つまらないっていう概念がないって凄い言語だなと、驚きというか、感激。


 

2014年5月17日土曜日

お金

お金についてよく考えるようになった。やっぱり、ケニア人にとっては黒人じゃない人々=お金持ちというイメージが強いらしく、道を歩いていると、お金ちょうだい。とか、なんか買って。とか言われることが少なくない。そう言われるたびに、嫌悪感とまでは言わないけど何とも言えない感情が芽生える。
別に、50シリング(日本円で約60円)を払うことは自分にとって、そして恐らく多くの日本人にとって、大きな負担ではないけれど、初めて会った人に、「消しゴム忘れたからちょっと貸して」くらいな感じで「50シリングちょうだい」と言われると、なんで払わなきゃいけねえんだと思うのだけど、これは自分がケチだからなのか…。

僕が今住んでいるナンバレからブシアに行く際は、マタツという乗りあいタクシーが移動手段なのだが、スタッフと一緒に乗ったときは片道80シリングだったのに、一人で乗ったときは100シリングを請求された。なんでと聞いても、は?という顔をされて、もう降りるポイントは近づいてるし、20シリングくらい別にいいかともその時は正直思ってしまったけど、やっぱり納得はいかない。

決して自分はお金持ちではないけど、現地の人々からしたらお金持ちなのは事実で、日常の小さなお金のやり取りすら、実は自分は搾取されているのではないかと考えたりする。お金ってすごい。昔、ベイブレード集めるのに結構なお金かけてたな…とか、1時間でだいたい1000円くらい稼げる日本のアルバイトって化物だなとか思います。

2014年5月12日月曜日

HIVとケニア

先日、HIV陽性者のコミュニティを訪問したときのことを書きます。
ムソマ周辺地域のHIV陽性者が開くMTGに同行させてもらいました。そのコミュニティに属しているメンバーは25人とのことで、当日の参加者は14人でした。(各々の健康状態や仕事の都合などによって欠席も致し方ないとのこと)この25人という数字が、周辺地域のHIV陽性者すべてをカバーしているわけではなく、陽性者の中でも希望者のみが形成しているコミュニティです。依然として、HIV陽性者に対する差別や社会的偏見は残っているので、自分のステータスを隠している人々も少なくなく、陽性者数の正確な統計を取るのは難しいようです…。


MTG
の主な目的としては、各々が抱えている課題の共有や薬の投与などについての現状確認をして、解決案を出し合うというもの。彼らが抱えている問題としては、主に【慢性的な資金不足】と【周囲からの偏見】が挙げられました。自家栽培をしてその日暮らしをしているような人々が大半とのことで、彼らがお金を生み出すことができるようなシステムを作れないかなと考え中です。

でもやっぱり健康第一だよなーと思うと、彼らに薬を供給するなり、病院へのアクセスを確保することが最優先事項なのかとも考えたり…。色々思いを巡らせているうちに、まず先にプロジェクトを行うための資金を取り付けなければいけないという大事なことを忘れそうになります。あほだ。

偏見の問題については、率直になぜだろうと思います。日本よりHIVが身近にあるケニアでは、絶対にHIVに対する知識は人々の中に根付いているものであるはずなのに、なぜいまだに一緒にご飯を食べると感染するなどといった偏見は残っているのか、ということです。

この問題は単なる教育の欠如とかではなく、社会的弱者を生み出そうとする社会の闇みたいなものがあるような気がします…。上手く言えませんが…。本当はご飯を食べただけで感染することはないと分かっているのに、それでも差別を生み出そうという構造があるというかなんというか。上手く言えませんが…。ただの推論です。

さらに詳しくお話を聞いて、なにか解決案を導き出したいです。無理やり締めくくりました。


2014年5月8日木曜日

日本語ばんざい

相変わらず時間はゆっくりと、それでも確実に過ぎて行っているなと感じる今日この頃。おとといはナンバレに来てから初めて日本人と会って、久しぶりに日本語を聞いた。セネガル協力隊出身の女性で、現在はアフリカを旅行中とのこと。改めて、世界にはいろんな日本人がいるんだなと感じた。

結構感動したんですが、この感動を表せない自分の語彙力に絶望です。

色々とお話をさせて頂いて、確かにそうだなと思ったのが、現地の人々は日本人がおもうよりはるかに【幸せ】だということ。確かに日本より汚いし、日本より不便で、日本人より貧しいのは事実だけど、ケニア人はよく笑っている。もしかしたら、自分がもっと過酷な環境で打ちひしがれている人々に会うことが出来ていないだけかもしれないけど。

僕は、アフリカで困っているすべての人々を助けたいとかそういう高尚な人間ではないので、そこまでショックを受けてはいなくて、むしろこの地で生活する人々の姿勢から学ぶことが大いにある。
でももし、めちゃくちゃ自分たちが必要とされていると思ってアフリカに来ていたら、おい、そんなに必要としてないのかよ、助けにきてやったのにっていう傲慢な態度になりかねない。

支援を与えることは、一歩間違うと、そこに存在していた価値観を壊すだけのものになるなと感じる。単なる支援じゃなくて、現地の人々がやる気になるシステム作りの手伝いができたらいいなか思ったり…。

ふと浮かんだことを書き留めるメモ帳みたいなブログになってしまいましたが、誰かが読んで何か考えてくれていたら嬉しいです。

2014年5月6日火曜日

FMP

あっという間に5月。生活には慣れてきたつもりでいるけど、いまだに自分がケニアにいるという実感がなく、ふわふわしている。資金難の状態はまだ続いていて、できることには限りがあるけど、こつこつと頑張りたい。
こうやって早い段階から、NGOの限界というか困難のようなものを目のあたりにできたのは、逆に良かった(と思うようにしてます)。

先日行ったイベントの紹介。
ナンバレマーケット内の空き地のようなところで、FMP (Family Matter Program)セッション修了者に対して、修了書の授与式を行いました。FMP9-12歳の子を持つ親を対象に行われていて、性教育を中心に、子供との理想的な接し方についてレクチャーを行うものです。参加者はセッションを受けた親と、彼らの子供たち合わせて40人程度でした。(途中でふらふらどっか行っちゃう人もいました)

修了後にソーダとマンダジ(日本の揚げパンみたいなもの)を配布。写真を添付しようとしたら、パソコンが固まったので、もらってテンションが上がっている参加者を想像してください。

ファシリテーターの1人が、みんなソーダとマンダジを貰うために来てるのよと笑いながら言っていたけど、参加者のテンションの上がり具合を見るとあながち間違ってないような…。セッションに参加する動機なんていうのはどうでもよくて、何かをそこから得ることの方が重要だけど、彼らにとってADEOはどういう存在なんだろうかと疑問に思った。スワヒリ語が分からないからぴんと来ないのかもしれないけど、思ったより授与式があっさりと終わって、これはソーダとマンダジの授与式だったのかともやもやした…。このセッションってどれだけインパクトがあるのかなと思ったけど、そもそもセッションのインパクトなんて測れないよなとも思う。難しい。