2014年6月30日月曜日

前進

なんとなく実現に向けて前に動いている気がする。
でもなんとなく自分がケニアにいる間に何かを成し遂げたいという思いで、急ぎすぎていないかなと不安になることもあって。
自分が損するだけだったらとりあえずやってみよう精神でなんとかなるけど、自分の判断が人様の人生を左右するかもしれないと思うと、慎重さも大事だなと感じる。
具体的に言うと、家畜を供給して住民の自立した収入創出をしたいと考えているのですが、家畜の維持費、実際の利益などもしっかり考慮しないといけないなというようなことです。餌はいくらかかるの?シェルターの維持費は?など話を聞いても大丈夫大丈夫とあしらってくるスタッフもいます。何が大丈夫なんでしょうか。

バランスですね、バランス。

2014年6月26日木曜日

日本語はやっぱり良い

ADEO Nairobiから日本人の訪問者がいらっしゃいました。ナンバレに来てからお会いした2人目の日本人です。日本語っていいです。今回の訪問の目的は、ムソマを訪問し現状を共有すること。ということで、ADEOスタッフとともにムソマを訪問してきました。

日本人が2人いるという光景はなかなか異様な光景で、ムソマの住民の方もとても興奮していたように思います。状態の悪い家を見てまわったり、HIV陽性者から話を聞いたり、近くの学校に通う子供たちに会いに行ったり、どのような支援を望むか住民の声を直接聞いたりという感じでとても濃い時間を過ごせたのではないかなと思います。
訪問後に話し合って、家畜の供給についてプロポーザルを書いてみましょうということに決まりました。靴・制服・学習用具・学費・頑丈な家、様々なものが足りていないのは明らか。そして、これらの問題は貧困から来ている、ということで、現地の人々が自分たちでお金を生み出すことができればと模索中です。まだ実際に資金を獲得できるかということは分からないけど、彼らからは日本人ならばお金を持ってきてくれるはずだという期待をひしひしと感じます。自分に出来るだけのことはやってみたいです。

2014年6月23日月曜日

研修について

今まであまり研修そのものについて書いてなかったので、どんなことをしているのか簡単に書きます。

普段オフィスにいるときは、活動報告のレポートを書いたり、今までのプロジェクトの報告書を読んだりしています。かといってそれだけでは一日中とても暇になってしまうので、隣接する病院やVCTセンターというHIV検査のための施設のスタッフからも話を聞いたりして、コミュニティでどんな問題があるのか出来るだけ多くのことを理解しようとしています。

ケニア人と日本人との大きな違いは「暇」を受け入れることです。やることない時はなにもしなくて良いという考えを彼らは持っていて、砂糖たっぷりのミルクティーを飲んでただただ話していることもしばしば。最近はAphia PlusというHIV啓発プロジェクトの再開に向けて、スタッフも以前より慌ただしくしていますが…。僕は日本人なので、何もせずぼーっとしているのも嫌だなと思ってしまうので、そんな時はフィールドに行かせてもらうようにしています。
現在進行中のプロジェクトはないので、僕が主に行っているのは、以前にADEOが家の改築などのプロジェクトをおこなっていたムソマという村です。学費を払えずに一日中家にいる孤児の子供たちや、屋根が古く雨もしのぐことができない住宅に住む人々から話を聞き、実際にどのようなプロジェクトを行うべきかというのを他のスタッフと相談しながら決め、そのための資金を調達するプロポーザルを書くのが仕事という感じですかね。

ざっくり書くとこのような感じです。まだまだ自分は未熟だと痛感する毎日ですが、頑張ります。

2014年6月19日木曜日

宗教

ケニア人の多くはキリスト教を信仰していて、毎週日曜日は教会に行っています。

「なんで教会行かないの?」
「クリスチャンじゃないから。」
「じゃあどの宗教を信じてるの?」
「仏教かな? でも無宗教と言った方が正しいかもしれない。」
「無宗教? じゃあ何も信じてないの? じゃあ人間は誰から生まれてきたの?」
「えっと…」

というようなやり取りをケニアに来てから100回くらいした気がします。日本人でももちろんクリスチャンはいますが、少なくとも僕自身は普段の生活で宗教を強く意識することはありませんでした。それが良いことなのか悪いことなのかも分からないけど、神という存在を強く意識しているから、困難も乗り越えられるのかなとケニアで暮らす人々を見て考えたり…。
逆に言えば、宗教を強く意識しなくてものらりくらりと生きていけるくらい、日本は平和な国なのかもしれません。クリスチャンじゃないのに、メリークリスマス!と大騒ぎしてるんですから、平和な国というかおかしな国ですよね。
日本だと、怪しい宗教の勧誘などがあったりして「宗教」という言葉に胡散臭さを感じる人も多いと思いますが、何かを信じるのは良いことだし、それぞれの宗教や考え方に敬意を持たないといけないなと思いました。おやすみなさい。

2014年6月17日火曜日

宣言

日本ではワールドカップで賑わっているみたいですね。
試合はケニア時間で昨日の午前4時ごろ開始でした。起きてみる気力はなかったんですが、朝起きたら宿泊先のスタッフに「日本人は黒人に倒されたぞ。ぬはは。」と死ぬほど言われました。
僕はサッカーファンじゃないので誰が凄いとか誰が駄目とか分からないですが、応援はしてます。一応。
ケニアはワールドカップに出ていないのですが、ケニア人にどのチームを応援しているか聞くと大抵「オランダ」「ブラジル」「スペイン」です。理由は「勝てそうだから」だそうです。
アフリカのチームは優勝はできないだろうから、本腰を入れては応援しないそうです。適当ですね。

ワールドカップ観戦者を狙ったテロがありましたが、僕のいるナンバレという地域はとても静かで平和です。昨日の夜、「愛をこめて花束を」という歌を聞いていて、「無理に描く理想より笑いあえる今日の方がずっと幸せねええええええ」という歌詞がとてもケニアっぽいなと思いました。良く言えば「ポジティブ」、悪く言えば「怠惰」ですね。

さぼり癖を治すために、これからは2日に1回は更新をしようと思います。宣言します。

2014年6月13日金曜日

No try, no return

この前一日中停電だった日、オフィスのパソコンも使えず、スタッフも働く意欲をなくし、3時頃にオフィスを閉めた。3時に帰ってもやることないし、どうせ停電もすぐには復旧しないだろうし、ぶらぶらしようと思って近所のマーケットを散歩した。散策の目的は、どういう商売を現地の人々がしているのかを知りたいと思ったから。日本とは大きく異なった環境で、どういう風にお金が使われているかを知るための散策。

やっぱり一番多いのは野菜や穀物、果物を売っている人々。至るところで売っているので、現地の人々がどこで買うのか決める基準は何なのか気になった。揚げた魚やポテトを丸出しで置いてある店もあったが、ハエが凄まじくたかっていて買う気にはならない。

他には、本屋・床屋・薬局・バイクの修理屋・ガソリンスタンド・食堂・キオスク?などなどがあった。娯楽のための施設のようなものはあまりなく、やっぱり生活必需品が重視されている印象を受けた。歩いているとムズング(スワヒリ語で黒人でない人々を指す言葉)とか色々と声をかけられる。ガソリンスタンドの兄ちゃんに絡まれ、Welcome to Kenya, I want a woman from your country…という他愛のない会話をしていたら、体重計を持ったおじいちゃんが急に歩み寄って来て、「乗れ」と笑顔で指図。
乗って体重を見たら、出発前よりも10kg近く減っている。絶対壊れてるだろと思って苦笑いしてたら、「はい、1シリングくれ」と言われた。なんで払わなければいけないんだと聞いたら、体重測らせてあげたでしょと一言。あまりにしつこいし、ガソリンスタンドの兄ちゃんもなぜか爆笑していてフォローしてくれないし、日本円でいう1.2円くらいだしもういいやと思って、1シリング払った。
清々しい笑顔でおじいちゃんが去り際に行った「No try, no return」の一言は忘れない。

2014年6月11日水曜日

教育

今回はケニアの教育について書きます。
ケニアでは、Primary Education(8年間)Secondary Education(4年間)→大学という教育システムが敷かれています。今回、焦点を当てるのはPrimary Educationについてです。

このPrimary Educationでは学費が無料。それだけ聞くと、ケニアでも最低限の教育は確保されているように聞こえますが、そうではありません。実際にお金を払うことができずに、畑で働いていたり、家で手持無沙汰にしていたりする子供たちを多く見かけます。

では何に対してお金を払わなければならないのか。一つは「制服」です。制服は一人分でおよそ1000円。決して高すぎる価格ではないですが、11ドル以下で暮らしている人々、または日本ではあまり見かけないような5人、6人、7人と子供を抱えている大家族にとっては、障害となることがあります。また、学習に必要なペン、教材費なども負担しなければなりません。

そして、もうひとつ問題なのが「tuition」という補講システムです。学校によってこの「tuition」の詳細は異なるらしいのですが、多くの子供たちが半ば強制的にこの「tuition」に参加することを強いられています。名目上は希望者のみとなっているのですが、実際はほぼ強制となっているのです。しかも、この「tuition」にはお金を払わないといけないのです。なんだそれ。

何で?と聞いても、「知らないよ。ケニアは汚職にまみれているからね。」という納得いかない答えしか得られません。この「tuition」はPrimary Education4年生から始まる場合が多いようで、多くの家族が、子供が4年生になると費用が足りなくなる。という課題を抱えています。

学校に行っていなくても逞しく元気に生きている人々を見て、教育ってそんなに無理してまで確保する必要あるのかなと思ったこともありましたが、やっぱり学校って大事だとも思います。少なくとも自分が学校に行っていなかったら、色々な人に出会えなかったし、日々の生活への意欲を失ってしまいそうで。みんな大学に行った方がいいとは思いませんが、Primary Educationという初等教育も受けられない人がいるのは何とも言えないです。せめて選択肢はあるべきですね。

2014年6月4日水曜日

お葬式

研修と直接関係ないけど、昨日はお葬式に行った。知らない人のお葬式に行くということ自体、躊躇した部分があったけど、スタッフのひとりに「ケニア文化を知るのも仕事だ」と説得され、半ば強引に連れて行かれた。バイクで20分ほど荒い道を走った先で目にしたものはとても小さな棺だった。その小さな棺の上には赤ちゃんの写真が飾られていて、両親と思われる男女が棺に寄り添って泣いていた。ケニアに来てから人が悲しんでいる様子を見たのは初めてだったように思う。そのくらいケニア人はよく笑っている。色々なものが足りていないけど、笑っている。僕はよく笑うケニア人の心の豊かさに戸惑うのと同時に、羨ましいなと思っていた。でもきっと自分の見てきた笑顔の裏には、日本ではなかなか起こりえない悲劇が少なからず起こっていることを実感した。小さな棺を運ぶ様子を直で見るのは初めてだったので、胸が痛んだ。

<印象に残ったこと>
①とにかく歌う。静かな歌のみならず、金切り声をあげながら手を叩くような歌まで。別にお葬式でリズム刻まなくてもいいんじゃないかな…。
②うろちょろしている者が多い。式は屋外で行われているけど、とにかく小さな子供や鶏がうろちょろしている。そしてそれを止めるものはいない。神父さんが話している最中に、鶏がこれでもかと鳴いていて……となった。
③集中力なし。スワヒリ語なので内容は理解できなかったけど、両親の知人と思われる人々がスピーチをしている最中、携帯をいじったり、さらには通話を始めたり、さらには通話しながら笑ったり…。文化の違いといったらそれでお終いだけど、胸糞悪かった。

ケニア式お葬式に出席して、色々考えることがあった。やっぱり、日本が好き。

2014年6月2日月曜日

気付いたら6月

更新をさぼっていました。すみません。
今回は真面目なことを書きます。

最近考えることは支援の「公平性」と「継続性」です。
どのような支援をすれば波及効果が期待できるか、どのような支援をすれば今後の受益者が自立して暮らすことができるのか。例えば、仕事がなく、食糧が不足している家庭に食糧を供給したとしても、援助が終わったときに同じ課題に直面することは目に見えています。かといって、その支援によって助かる人がいるのも事実です。「継続性」って何でしょう…。

また、一つのプロジェクトを行うにあたって資金を取り付ける必要のあるNGOでは、ハード面の支援を行う際に「公平性」の面で問題が生じます。新たな住宅を何軒も建設することは、それだけコストが必要になるので、支援の対象を吟味する必要があるからです。ですが、これも上と同様に、その支援によって助かる人がいるのも事実です。実際にフィールドを訪問し、屋根が脆弱で、相当な雨漏りをするため快適に睡眠をとることもできないという声を聞くと、屋根を改修してあげられたらなと強く思います。「公平性」って何でしょう…。

「公平性」や「継続性」がある支援をしたいとスタッフと話していたら、「でも全員は助けられない」と言われました。そりゃそうだ。理想と現実と、リスクとリターンと、色々バランスを取らないとという感じで今は余裕がないですが、そのうちこの思考のサイクルを楽しめるようになりたいですな。