2014年9月27日土曜日

なぜか

この「なぜか」という視点はとても大切だと改めて思う。
今までは起きた出来事や目の前の状況に対して「なぜか」という視点が欠けていた。猛省。
というのも、今、僕の研修先のNGOの問題点と改善案をまとめたレポートを書くために色々聞き取り調査のようなものをしていて色々と新たな事実を知ったから。

たとえばひとつの事例を挙げると、HIV啓発プログラムのファシリテーターを新たにひとり雇用しなければならないという時に、大学の卒業証明書や所有資格を示す書類がしっかり用意されていなかった。これはまあアフリカだからゆるいよね。と今まで片付けてしまっていたけど、よくよく聞いてみると裏でいろいろと契約が結ばれてたりなんかする。そういった書類を用意する義務がなければ、いくらでも自分の周りの友人とかと裏契約が結べたりするから。次の機会も雇ってやるから給料の何割おれによこせや。みたいに。

汚職にまみれてますね、ケニアは。あるケニア人は、「汚職のまったくない組織や誠実なケニア人男性を見つけるのは、妊娠した処女を見つけるくらい難しい」という名言を残していた。うまいこと言いやがったな。

帰る前にしっかりナイロビオフィスと話をして、組織としてブシアオフィスも向上してほしいと心から願う。

2014年9月24日水曜日

生きること死ぬこと

生きることとか死ぬことってなんなんだろうと向き合わずに生きてきた。というか向き合わないでも生きてこられたと言うべきか。
僕の父も母も姉も祖母も元気に生きていて、身近な家族や友人の死というものをほとんど経験したことがない。祖父は僕が赤ちゃんだったころに亡くなったので、残念ながら祖父の姿は鮮明な記憶として残っていない。ケニアで約5か月生活をして、死ぬということが日本よりも身近にある環境で生きているひとの姿をみて、自分自身思うことがあった。なんとなくケニア人の方が生きているという呼吸を感じるから。
生きようとしなくても日本では生きられるから、そこに対する努力をしてこなかったのかもしれない。日本に帰ったらもうちょっとちゃんと生きたいと今は思います。それだけです。

2014年9月21日日曜日

Healthy Choices

今週は割と忙しくフィールドでの活動に同行しました。Healthy Choicesという活動で、簡単に言ってしまえば16歳から20歳くらいの子供たちに、コンドームを使いましょう・エイズはこういう病気ですよというようなことを啓発するような活動です。

だいたいの流れとしては、
➀子供たちに将来の夢や目標について議論させる
➁それらを叶えるために必要なことはなにかを議論させる
➂また、それらの阻害要因となりえるものは何かを議論させる
といった具合に➂で子供たちに中退、病気、妊娠などの要因を出すように導いてからセッションが始まるという感じです。一方的に教育するのではなく、生徒側から意見が出るように工夫されてる印象です。

学校によって生徒の反応や態度にも結構差があって、黙って真面目に聞いているところもあれば、SEXという単語が出るたびに1分くらいざわついて面倒くさいところもあるのが面白いです。ある学校では、SEXをしたことがある人は挙手してください。というくだりで、普通に半分くらいの子が手を挙げていたのに、コンドームを使った人は?という質問には3人くらいしか手を挙げていなくておいって思いました。

あとひとつ、は?って思ったことが…。セッションを行う前に大体どの学校でも各校の校長とだいたいこんなことをやりますという打ち合わせがあるのですが、ある学校の校長さんが、「実際は婚前交渉はタブーなのであって、コンドームを使おうという教育は、婚前交渉を許していることにつながるだろう。なぜそんなことを教えるのか。」みたいなことを言ってきたんです。まあ一理あるのかもしれないけど、この人は実際に多くの子供たちが若いうちから性交渉をはじめているという現実をどう受け止めてるのかなと気になってしまいました。実際に学校にも行けない、お金もない、仕事もない、なんにもない状態に陥ったがために、はけ口を求めて結局子供ができましたっていう状況が多くあるなかで、ただ婚前交渉は駄目です。という教育をしても意味がないということを理解できているんでしょうか。

2014年9月16日火曜日

スタツアまとめ

スタツアのアレンジしていただいた方々に、改めて感謝の気持ちを伝えたいです。開発業界になぜ憧れていたのか、そもそも本当にやりたいことなのかということを見つめ直すために行こうと決めた研修でしたが、良くも悪くも現実が見えてきて、自分にできることできないことを勝手に決めつけていた自分がいました。
でも今回のスタツアでケニア・ウガンダという異国の地で、情熱を持って活躍している多くの日本人の方々にお会いして、できることできないことというよりもまずは自分がやりたいと思えることを大事にしなきゃいけないと気付くことができた気がします。お会いした人は一貫して誰かのためにというよりは、自分のしていることにプライドというか楽しみを見出しているように思えたからです。

また、初めてお会いした人に研修どうですか?とか今まで何してたんですか?とか聞かれることも多くて、改めて自分がしてきたことを振り返る良い機会になりました。特に僕が収益向上プロジェクトとして考えていた牛乳の生産プロジェクトの話をしたときに、何か面白いことしてるね。と言っていただけたので、自分がこれまで調べてきた牛の種類とかエサの種類とか流通網とかもろもろの情報は帰国までにしっかりまとめたいと思いました。
あとは僕がなんとなくオフィスのことで不満に思ったことを愚痴っていたときに、「逆になんでそういう状態になったんだと思う?」と言われて、何も的確に答えられなかったことが悔しかったので、「なぜ?」の部分についてできる範囲で突っ込みたいと思っています。5か月もいて、もやもやしたり文句垂れるばっかりで「なぜ?」の部分についてしっかり考えてこなかったというのは甘すぎますが、帰国前に気付いて本当に良かったです。

純粋にスタツアとても楽しかったです。もう頑張るしかない。

2014年9月13日土曜日

スタツア➅

陸路でルワンダ→ウガンダ→ケニアと戻ってきました。特にルワンダ⇔ウガンダの道はなかなかの悪路でかなり上下に揺さぶられて寝ることもできず…。その上帰路においては近くに座っていた少年が完全にバス酔いして、ぴょろっと戻してしまったのです。自分の隣に座っていたビジネスマンはその瞬間顔を覆ってOh my god。しかしその少年を誰も責めたりはしません。むしろ「勝負はここからだ。頑張ろうぜ。」という謎の一体感がバス内を包みました。ありがとう悪路。

ということで前述の通りルワンダに行ってきました。虐殺記念館に行くためです。詳しくは各々に調べていただくとして、ルワンダは1994年にツチ・フツ族間の無差別な虐殺が起きたことで知られています。50年前、100年前の話ではなく、たったの20年前です。言葉を失うという表現はありふれていますが、本当に言葉を失いました。特に胸に刺さったのが虐殺された子供たちの写真やプロフィールが展示されているコーナーで、彼らが好きだった食べ物、趣味、性格、殺害方法、殺害前の最後の一言(Mum,where can I run to?など)が生々しく描かれていて、とても胸が痛かったです。20年前に実際にこういう事態が起きていたという事実が、あまりに非日常的で悲しいですがぜひ皆に行ってもらいたいと思いました。

ルワンダでは街中のあらゆるところにゴミ箱が設置されていてゴミ箱も落ちていない、人々もとても温厚でしつこくない、なんというか整然としていて僕の知っているアフリカではありませんでした。大虐殺から奇跡の復興を遂げたといわれているルワンダですが、人々の心の傷はいまだに癒えていないはず。彼らが醸し出す温かさというか素朴さみたいなものの裏には計り知れない悲しみがあるようにも思います。

2014年9月6日土曜日

スタツア➄

ケニアでの滞在を終えて、ウガンダに来ています。
異国の地で活躍している日本人の方々にお会いできて楽しい毎日です。

【あしながウガンダ】エイズで親を亡くした遺児たちに対して小学校教育・学習用具の配布・家庭訪問などの支援を行っている団体。まず初めに、あしながウガンダさんの周辺に住んでいる子供たちが外国人慣れしている印象をうけた。僕の研修地であるブシアのように、僕の顔を見て泣き出す子もいないし、20回くらいHow are you?と言ってくるような子もいなくて、あしながウガンダさんの存在がコミュニティに受け入れられてる気がした。実際に被支援者の家庭を3軒訪問して、やはりみんな言っていたのは「お金がない」ということ。この言葉って事実ではあるとは思うのだけど、やっぱりこれを言うことで、もらえるものは全部もらいたいというメンタリティもあるような気がする。
教育は未来への投資でもあって、実際に有能な人材が教育を受ける環境にないというのはものすごく残念だし、日本だったり他の外国にウガンダから留学生が学びに行くことができるというのは、とっても有意義なものではある。でもやっぱり、学費ちょうだい学費ちょうだいと言ってくる人々の姿にはしっくりこないものがあるなって改めて思った。自立って二文字だけどとんでもなく果てしない気がする。

そして昨日は養鶏場を経営して、HIV陽性者のための雇用創出活動を行っている女性のところに訪問してきました。
一言でいうとめちゃくちゃ大変そう。でも楽しそう。盗みを働く人やしっかり働いてくれない人はやっぱりいて、その都度何人も解雇してきたとのこと。やはり彼女自身が厳しい態度で従業員に接していて、うまくプレッシャーをかけているというか、この事業がうまくいかなかったら自分たちの生活も危ういという危機管理を持たせているような気がした。
畜産のノウハウ自体の教育はそこまで難しくもないかもしれないけど、気持ちの改革って時間も労力もかかる。その中でウガンダ人がウガンダ人だけで生活できるようなサイクルを構築しようとしている姿にとても感銘を受けました。今回はスタートアップ期間だったのですが、鶏が卵の生産を始めて、繁殖したときに事業がどうなっているのか見に行きたいな。

2014年9月2日火曜日

スタツア➃(ブシア編)

久し振りにブシアに帰ってきて、みんなが温かく迎えてくれたことが嬉しかった。けどやっぱり本当になにもないなって。よくこんなところで4か月くらい生活してたなって思う。ADEOスタッフの働き方もナイロビとブシアでは全く違っていて、せかせか働いているのがナイロビ、あんまりプロ意識がないというか、がはがは笑っているのがブシアという感じ。おおざっぱにいうと。
ずっとブシアにいてなんとなく慣れてしまったというか、問題を問題ととらえない癖みたいなものが無駄についてしまったなと、ナイロビでの滞在中に思ったので帰国までにブシアの改善点をしっかりレポートなりでまとめて文字化したいと思います。

【FLEP】FLEPという毛布を送る運動の協力団体のオフィスにお邪魔したあと、実際に毛布を支給された受益者の家に訪問した。一軒一軒を訪問して、何に苦しんでいるかとかそういう話をただただ聞いてまわるという工程がとても心地よくないというか、意味を見出せないというかもやもやした。遠くの国からわざわざ肌の黒くない人が数人やってきて、話を聞くという行為自体が、ある種の期待感のようなものを植え付けていないのかなと考えたりして。もちろん現場を見るという行為は自分たちにとっては有益なことなんだけど、完全に割り切れない気持ちもあって最後までもやもやでした。

【Unicef 手洗いプロジェクト】Unicefがおこなっていた手洗いプロジェクトの一環で建設されたトイレのある学校に訪問。トイレを見てまわっていたときに、このトイレはこういう風に建てられるものではなかったんだと謎の男性に文句を言われる。彼の言い分ではコミュニティ側の言い分と、実際に建築を担当した業者(支援側?)の言い分とのあいだに最後までギャップがあって、最終的に支援者側の言い分が通されたとのこと。プロジェクトの詳細を知らないからなんとも言えない部分もあるけど、文句を言われたときにADEOスタッフははいはいはいはいという感じで聞く耳すら持っていなかったところに違和感を覚える。受益者側の言い分が全てではないとは思うのだけど、聞く必要はあるんじゃないか。

【Healthy Choices】15歳から24歳の女性に対して行われているHIV予防啓発プログラムを見学。基本的には性交渉をする時はコンドームを使いましょうという話だったんだけど、一つ面白かったのは結婚していて、相手がHIV陽性でないのであれば、コンドームを使う必要はありません!みたいな話をしていたこと。家族計画とか一緒に教えないのかよと思って。そもそも子供はいればいるほど良いという価値観がケニア、特に村の方ではあるので、家族計画ってなに?っていう感じなのかもしれないけど。あと参加者の中には既に小さい子供を連れてきている人がいるのに若いうちから子供をつくると大変なだけです。ろくなことがありません。みたいな教育をしていることにも違和感ありまくりでした。


【ムソマ孤児院】ここが一番もやもやしました。まあ分かっていたことではあったけど、スタツアメンバーに対して終始わたしたちは困っています。支援が必要です。というアピールをしていていらっとしたというかなんというか。でも彼らをそういうメンタリティにしてしまったのはADEOでもあるなとは感じていて、家屋の建築だったり、物資の支援をしたことで支援に対する依存のようなものを中途半端に生んでしまったのではないかと。個人的には彼らのそういったメンタリティを「怠惰」という一言で片づけるのも違和感があって、何かきっかけを与えて自分たちだけで何かできるんだという自信を与えるような支援が一番価値があるんじゃないかと思う。
あと、お土産としてムソマの子供たちにサッカーボールをあげたんですが、なんか「絵」になるものを選んだ感じがしてむず痒かった。一日一食とかしか食べない子にとっては普通に食糧もらったほうがありがたい支援のような気もするけど、食糧とサッカーボールだったら後者の方が「絵」になるというかなんというか。サッカーボールをもらって喜んでる子供たちが目の前にいるのに、なんとなく裏を読んでしまう自分がいて、支援というものに対して懐疑的になっている自分がなんとなく悲しかった。

読み返したら批判とかネガティブなことばっかになってしまいましたが、個人的にはブシアだからこそ学べることもいっぱいあって楽しいですよ。元気です。

スタツア➂

やっとネットが繋がりました。今はウガンダにいるのですが、ケニア滞在を振り返ります。

【FKP】ケニア最大のスラムであるキベラスラムで、音楽教室のような活動を行っているNGO。教室で子供たちがものすごく元気に歌を歌っていて、なんだか生きてるなっていう感じでした。平和についての歌だったり、平等についての歌だったりをうたっていて、割と宗教チックな感じだったけど、その宗教が心の充足につながるのであれば、それも必要なのだろうと。スラムのような厳しい環境では強く生きていかないと生きられないのだろうし、音楽を通して前向きに生きるというアプローチはとても有効なんだなと感じました。小さい頃からその施設を利用していた若者が、先生として小さい子供たちの面倒を見ている姿を見て、コミュニティのなかで憧れの存在というか、この人みたいになりたいから頑張ろうと思えるロールモデルがいるということって、ものすごく大事だし幸せなことなんだなと実感しました。

【CanDo】CanDoの方々とは一緒にディナーをするという形だったのですが、終始ケニア人と働くことって大変ですよねえそうですよねえみたいな話をしていました。時間通りに来ないくせに給料だけ請求してきますよねえとか、普通に騙してきますよねえとか。ものすごく共感したのは、支援者側のメンタリティの問題。やっぱり最終的には被支援者が支援を必要としない段階まで持っていくのが理想的なんですが、その状態まで持っていくのって物凄く大変な話だなと。支援をしていく段階で一種の支援慣れというか、なにかしてもらえるから自分たちはそれを待っていればいいやと思う人は必ずいるはずで、支援を与えたがゆえにかつて持っていた逞しさというか反骨心のようなものが消えるというリスクもあるという話が、個人的にとても胸に刺さりました。

その後マサイマラにも行ってきました。マサイ族の友達もできたし、動物もわんさかいたし、刈りに失敗するチーターの情けない姿も見れて大満足でした。写真もいつかあげたいです。